姿を消した聖人2005年05月10日 08:04

 世の中には、他人の名を利用して利益を得たり、地位を這い登ろうと図る手合いがいる。そして、利用されやすいのが、世間に信用され、権威とされている人物や組織である。新聞の社会面を見ていると、「有名人の名を騙り」とか「大手○○社の名刺でだまし」といった記事をよく見かける。最近も、ある宗教団体の名を利用した詐欺事件があった。
 この種の悪行には、警察沙汰にならないような、巧妙きわまる手口のものも多い。ここでも、利用されやすいのは、意外に銀行とか新聞社、役所の類だ。有名だったり、信用されたりしている組織や人間は、名声や信用を利用されて、思いも掛けず世の中に被害や迷惑を及ぼすことがある。それだけ、警戒が必要だ。
 かつて勤めていた新聞社に、一時期、「市井の善行」を賞揚する全社的な企画があった。支局に勤務していたころで、たまたま、Mと名乗る初老の男が、「地の塩の箱」運動と称して、街角に木製の小箱を置き、懐にゆとりのある者がカネを入れ、貧窮している者が自由に掴みだして使う、という互助の仕組みを広めたいので、紙面で紹介してくれと、木箱を携えて支局に頼みにきた。
 応対した先輩支局員のSが、ぞっこん惚れ込んで、美談仕立ての記事を何度か書いた。当然、運動に同調する者が増える。新聞の力だ。やがて、S先輩がMを「市井の善行賞」の候補に推薦しようと言い出した。
 入社して間もなくだったが、私は反対した。「孤独で、苦難の人生を歩み、この運動を始める境地に達した。あくまでも慈善活動の提唱・組織者だ」と語るMの言葉が、ウソ臭くてならなかった。
 「ホンモノなら聖人だが、彼が何で食べているのかが分からない。贈与でも貸与でもないカネのやりとりと、彼がどう関与しているのかも明らかでない」と慎重論をぶった。白髪混じりの長髪に、長いヒゲというのも気になった。少なからず勘だ。
 S先輩は、「君は若いのに不純だ。彼は純粋だ。現に、助かった人が箱に残した感謝の手紙も持って来て、見せているではないか。彼はホンモノだ」と、きかない。「そんなもの、誰が書いたのかも分からない」と突っ張ったが、結局、支局での論議は性善説が通った。
 Mは、めでたく「市井の善行賞」を受賞して"有名人"になった。そして、ある日突然、支局に訪ねて来て、「次の参院選に立つ」と、のたまわった。S先輩は跳び上がった。明らかに新聞が利用されかけていた。S先輩と支局長の懸命の説得で、Mは立候補を断念した。が、数日後、煙の如く姿を消した。(;)

コメント

_ 朝日熊 ― 2005年08月24日 00:31

江口榛一というかたではないでしょうか。

_ 竹庵 ― 2005年08月24日 14:16

 朝日熊様 初めまして。ご明察の通り、M=Martyr は江口氏です。彼は、この件を書き遺していますか? それにしても、キリスト者は自殺をしてはならないはずですよね。
 因みに、小庵は自殺についてのサイトへの橋渡しはしたくないので、お書き込みの「リンク集」は、参考までに頂戴しましたが、勝手ながら、削除させて頂きました。ご了承ください。甘粕元大尉の辞世は、8月23日付け朝日新聞夕刊1面の記述とも違うようですね。

_ 朝日熊 ― 2005年08月24日 21:28

ご指摘のとおりで自殺系サイトはあまりよいものではございません、むしろそれを見たものを闇に引っ張り込む力があると思いますので非常に危険です。自殺は残された家族を不幸にしますので、全くいいことは無いと思います。 と言いますのにも訳がございまして、小生、最近、TVニュースなどで自殺サイトで知り合った人間を複数殺害した凶悪犯、の件もあって、自殺系サイトになにげに興味を持って、その後に、「自殺」で検索したら江口氏の「地の塩の箱」の件が目に留まりましたので、その延長線上で検索したら、貴サイトを拝見するにいたった、というわけであります。 ただし、ここではあまり議論するつもりではございません故御手柔らかにお願いいたします。江口氏は、良くも悪くも(これが貴殿の仰られたような話です)純粋(小生は教会の牧師が知りあいにいるのですが、彼に聞いてみても、クリスチャンでもここまでの活動はできない、と言っていました。)過ぎますし、どちらかというと出世が下手なほうの人だと思います、今、江口氏の娘さんの本(父と私, 江口木綿子, 柿の葉会)を読んでいるのですが、かなり重たい話です。家族の方々の苦労がしのばれます。ただ辛い辛い話、というわけでも無く、彼の優しさも伺われるようですので、読みすすむのには苦にはなりません。 美化もしても仕方が無いですし、最後は自殺されたわけですので、本を読んだ限りは、彼のことをペテン師ということには私自身抵抗があります。彼に私利私欲があったとは思えないでいます。実際の江口氏を見られてその文章のとおりのことによって出馬を諦められたのであれば、彼の愚かしさではあると思います。江口氏には2度ほど(芥川賞受賞の可能性、議員になること)、ふつうの生活に軌道修正するチャンスがあったのだと思います、それは彼が彼の家族に対して苦労を強いていた事に対しての反動、として理解するべきものでは無いかとも思います。ですから議員になりたかったのが目的でどうこうと言う理解は単純すぎるように思いますし、それでは彼の生き様を過小評価していることになるのではないか、と思ってしまいます。 書き残しているかどうか、と言う点については、小生は、まだ一冊しか確認していませんゆえ、完全には分かりかねますが、前述の最近読んでいる一冊の本の中では、民社党から県会議員か何かの出馬の話があって、出馬届けをする直前に、神の真意ではないと感じ、止めたと書いてありました。これについては、貴殿の経験からの話のほうが真実なのかもしれません。

キリスト者は自殺はしてはいけません、お酒もいけません。
キリスト教の教義に関して云々は、教派によってもさまざまでこれについて書くと行数が足りなくなりますので、止めようと思います。


ともあれ、元新聞記者の方の文章が惜しげも無くしかも無料で公開されていることには感服しておりますし、貴殿の見識を以ってもっともっとさまざまなことがらに関して書き連ねていただければ、と存じております。

小生、文章は素人以下で申し訳ございませんが、そういうことで。

_ 竹庵 ― 2005年08月25日 10:29

朝日熊様。
 再度のご来庵、恐縮です。私のものの見方にご理解を頂くために、少しくお時間をください。
 幼少の時期に、軍国主義→天皇の人間宣言・教科書の墨塗り→平和憲法→冷戦→占領軍のご都合主義的政策転換(公職追放令・極東裁判→レッドパージ)と、目まぐるしく変わる日本で、権威というもののウソや頼りなさをイヤというほど見せつけられ、私は自分の目と耳やその他の感覚で直接現実に触れ、記述し、伝えるクロニクラーとして、またものごとの見えない部分をえぐり出して批判する能力のあるジャーナリストとして生きてみようと、大それた道を選びました。
 大層難しい仕事ですが、手っ取り早く言えば、間違ったこと、偽りの事実を伝えないために、「まず疑ってものを見る」スタンスを自らに課すことを一種の職業倫理として、励行してきました。
 それというのも、私が働いた新聞社には、記者として客観的にものを見、知らせるというジャーナリズムの基本よりも、むしろ、世の中をある姿にしたいがための運動の一端として記者活動に従い、結果的に「偏った」記事を書く人々が多かったからです。そして、学校を出たての若い記者が、経験不足や不勉強も手伝って、ナイーヴな"信じやすさ"に駆られた記事を書いて読者をミス・リードする例も多かった。今も、あまり変わりません。
 でも私は、商業紙であっても、いや商業紙であればこそ、いかなる権威・権勢に対しても極限まで「不偏不党」を貫くべきであるという考えを崩せませんでした。
 江口氏の一件は、まさに、こうした私のスタンスの表れでした。彼が、仰るほどに家族を貧窮の苦しみに置いていたのなら、そして、それが彼を苦しめていたのなら、慈善に身を捧げる以前に「生業」を求めるべきだったでしょう。人の胸中と行為は、いかなる具眼をもってしても容易には見抜けません。しかし、彼が家族を貧苦から救うためにの「生業」に就いていなかった事実は見えていました。
 おそらく、世俗の「生業」に就くことは、耽美主義的な詩人としてはプライドが許さなかったのかもしれません。そして、われわれが知らされたのは与える者も得る者も互いに知らない「地の塩の箱」という慈善運動の推進者
を自ら名乗って、新聞社の支局に現れた人物でした。
 キリスト教では、「善行は隠しなさい。貴方の右手でする善行を、左手にさえ知らせてはならない=大意」と教えているではありませんか。
 
 貴方様の文章については、何も卑下することはありません。文章で暮らす人々にさえ、これほど整った文章を書く方は、滅多にいません。文章は、世に言う「教室」や「塾」で習って身につくものではないと、私は信じています。この件については、いずれ書きましょう。つまり、「先生」を名乗れるような人は、ほとんどいない世界です。
 ただ、一つだけ。「なにげ」について、辞書をお調べください。

_ 朝日熊 ― 2005年08月25日 13:40

▽朝日の体質と貴殿のスタンスの違い、確り分かりました。▽キリスト教で言うところの「善行は隠しなさい~」は東洋で言うところの「陰徳」でありましょうし、だれかれにも無分別に財を分け与えると言うのは、あまりにも理想主義的で、家族を持つ身では考えられないやり方であったのだろうと思います。彼が家族を貧苦から救うためにの「生業」に就いていなかったというのはおっしゃられるように「見た目」で分かられたのだろうと思いますし、実際江口氏はどんなだったのかと言うことについては貴殿が良くご存知だと思いますのでそれを参考にします。▽ありがとうございました。

_ 竹庵 ― 2005年08月25日 13:49

 朝日熊様。 ご理解頂けて感謝しております。またのご来庵、お待ちします。

_ 朝日熊 ― 2005年08月25日 13:54

マスコミが簡単に騙されないようにしなくてはならない、と言う点に於いては、光合掘菌を図らずも結果的には宣伝してしまった朝日新聞山梨版や、オウムを利することになってしまったTBSなども挙げられますね。現代は比較的こういうような騙す側が巧妙で悪質になっているのが多いように思います。
個人的には、現代は、物資が豊かで、市井の善行賞のように精神的なものに素直に感動するような時代ではない、「物質は豊かでも精神の貧しい時代」であることに、「少し昔」の人がうらやましいところもあります。

_ 竹庵 ― 2005年08月26日 00:15

 朝日熊様 全く、その通りです。困ったことに、メディアの側が自ら信用を保つ努力を疎かにしてしまったため、情報の受け手の方が、メディア・リテラシーの必要に迫られるようになってしまいました。これは、私の重要テーマです。いずれ、詳しく書きます。
 ところで、<光合掘菌を図らずも結果的には宣伝してしまった朝日新聞山梨版>について、私には知識がありません。お序での折りに、詳しくお教え頂ければ幸いです。

_ 朝日熊 ― 2005年08月26日 11:53

ちょっとズボラをして申し訳ございませんが、他人様のブログページに丁度それに適した文章がございましたので、アドレスを掲載させていただきます、不適当であれば消してください。
http://oncon.seesaa.net/article/5407199.html

_ 竹庵 ― 2005年08月26日 14:34

 朝日熊様。例の件ですね。有難うございました。酷い話ですね。

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