土葬・夜・雨2005年08月02日 08:24

 ひとだまと日本人のつき合いは、ずいぶんと古いようだ。万葉集にも、たった1首だが歌われている。

  人魂の さ青(お)なる君がただ独(ひとり)
        逢へりし雨夜の 葉非左思所念=作者不詳。

 巻16、掉尾の歌だが、<葉非左思所念>が「訓義未詳」のままである。万葉には、このように読み方も意味も解らない文言が随所に残っており、いまだに論争が尽きない。
 興味深いのは、古い朝鮮語で読むと、スラスラと、しかし全く意外な意味があぶり出される歌が混じるという、近年の説だ。この1首、やまとことばでの1解釈を披露すれば、「ひとだまのような真っ青な顔をして、君だけが出会ったという、雨の夜の葉非左思(ハヒサシ)が偲ばれる」となる。
 ひとだまと土葬・夜・雨は縁が深い。人間、生身だ。地中で骸は朽ちる。朽ちればガスも出る。大地の天矢気(てんしき)のようなものである。目撃談では、決まって夜、青白い色で炎のように漂い、熱気はないという。諸説あるうちの、「ひとだまリン燃焼説」の根拠だ。リンは体内に多い。
 日本列島では、縄文の昔から土葬が基本だった。それが、6世紀に仏教が伝来して、上層に火葬が広まる。大規模墳墓の歴史が途切れるのは、このためだという。しかし、庶民の土葬支持は強く、火葬は仏教ほどには浸透しなかった。
 跳んで江戸時代に入ると、儒教の影響で、再び上下の別なく土葬が圧倒的主流になる。皇室まで、これに倣った。日本で火葬が伸びるのは第1次大戦後の大正年間からで、大都市への人口集中と疫病への対策から起きた、世界的風潮に従ったものという。
 今の日本では、百%近くが火葬だから、墓に納まるのは焼いた骨だけ。だから、墓石も今では暴れない。最近の都会では、骨壷を預かるコイン・ロッカー様の納骨堂もあって、ひとだまの出る幕はほとんどない。
 代わって散骨が流行りだした。松江出身の愛すべき仁で、「散骨と決めし湖面の白さかな」と、辞世を詠んで癌で逝った後輩がいた。以来、宍道湖の蜆は、敬して遠ざけている。(;)