六尺のいたち2005年08月03日 08:13

 森や巨木、山岳や滝、池や川の淵にも、霊魂とか精霊が潜んでいると信じてきた民族がある。日本民族も基本的にはその部類で、自然への崇敬や八百万の神への信仰につながっている。
 これとは別に、非業の最期を遂げた者や、子孫に祀られぬ恨みを抱く死者の霊魂が、死んだ肉体を離れて冥府へ行き損なってさまよい、生前の人間の姿をして現れるのが「幽霊」だ。この類は、ハムレットに見るように、古今の西欧演劇にもよく現れるから、日本だけの特産ではない。
 また、このような漂泊の魂が、主として動物や身近な物体、得体の知れぬものなどに姿を託して出てくるのが「妖怪」である。ひとだまもこの類だ。これは、水木しげる氏のサイトでたくさん会える。もっとも、一緒にされては困るということか、永田町や歌舞伎町へのリンクはない。
 幽霊と妖怪の違いではっきりしているのは、幽霊が特定の「心当たりのある人」の前に現れ、縁のない人には恐怖や危害を及ぼさないのに対し、妖怪は不特定の人を相手に怖がらせたり、悪さをしたりする点である。妖怪には、時に"善玉"もあるようだ。
 姿が全く見えないものも現れる。小学生のころ栃木県で暮らしたことがあるが、当時あのあたりには「鎌鼬=かまいたち」と称する現象が、冬場などに少なからず起きて、被害を受けた級友の傷跡を見て、震え上がった。
 前触れもなく、腕やふくらはぎの皮膚がぱっくり裂ける。5~10センチの傷なのに、あまり血も出ず、最初は痛くもないという。一説につむじ風に伴う一種の瞬間的な真空状態が原因といい、相模では「かまかぜ」と呼ぶ。最近はとんと出現を聞かないが、当時の子らは、化けいたちの仕業と大いに恐れた。
 例祭の折など、妖怪変化の類を見世ものにする小屋が広場に建てられ、ろくろ首や人魚の剥製に混じって「六尺の大いたち」というのが客を誘った。
 いたちは、子らが飼う鶏をしばしば襲う悪者でもあり、いざ実検と木戸銭を払って入ってみると、6尺の大板に、何かの血が塗ってあるだけのシロモノ。悪たれついて地団駄踏んだものだ。(;)