Sportsの役割2005年08月12日 08:17

 学生の本分は、学業と全人的な人格の陶冶である。親きょうだいや社会が、将来を託して与えてくれた人間形成のための貴重な時期、いわば実社会参入への猶予期間を、まず本分に励むことが学生の義務だ。
 しかし、活力盛んな青春にあって、学問と並んでバランスよく体力を養うこともまた肝要である。しかも、人格の陶冶という課題にとって、スポーツ、特に人間関係を学べるチーム・プレイの果たす役割は大きい。
 なぜか。──スポーツ先進国イギリスの諺に、「All work and no play makes Jack a dull boy」とあるように、勤しむばかりで遊びがなくては退屈な人間が育つ。この場合、勤しむ(work)は何も勉学ばかりではない。労働もそうだし、体を鍛えるとか、何か目的を達成しようと遮二無二に勤しむことはworkである。だから、逆説的だが、例えば野球によって全国制覇する夢だけに生活の全てを費やし、playを忘れてしまっても、偏った退屈な人間が育つ。
 そもそも「遊び・気散じ」を意味するplayは、本分・本業の外にある人生のビタミンのようなものだ。何で遊ぶかはまちまちだが、中でも、中世フランス語のdesport(デスポール=気晴らしの遊び)に起源を持つ英語のsportsが大きな部分を占める。sportsの語は、貴族など上層の英国人の生計が頭脳中心になり始めた16世紀ころから使われ出したという。自ずと、古代エジプトやギリシャ・ローマの繁栄期に似て、主に肉体を使い、しかも面白みを加えるために技を競うようになってgame(試合・競技)に発展した。
 17~19世紀の英国で爆発的に広がった各種のsportsは、gameの運用のためにルールを生み、ルールを守り、勝敗よりfair playを重んずるsportsmanshipという一つの徳義が生まれた。「最高のスポーツマンは勝利者だ。が、最高のスポーツマンが勝利者とは限らない」と言う所以である。要するに、本来のsportsは、本分・本業の外にある、しかし一種の徳義を伴ったplayなのだ。だから、有徳の人格を育てる助けとして、近代の学校教育が採り入れるところとなった。(;)