歪みは極限だ2005年08月15日 08:22

 スポーツは人生の本分・本業の外にあるべきものなのだから、体育専門学校ならいざ知らず、普通の学校がスポーツを本分とするのは間違いだ。ところが、野球を本分のように位置づけ、学業そっちのけでplayer(原義=遊びを専らとする人)を育てる"野球学校"が増えた。そして、この種の学校が甲子園の常連として定着しつつある。
 その結果、学業との両立をはかり、教育の一環として野球を楽しむような高校チームは、甲子園の土を踏むことが甚だ困難になった。学業を本分とする限り、練習時間や練習量からして"野球学校"には敵わない。これは、sportsが務めて排除するunfair(不公平な)常態ではないか。
 なぜこうなったのか。──明らかに、まずプロ野球のせいだ。プロ球団が、たかだか18歳かそこいらの若者に、億単位のカネを積んで誘う。ただでさえ、モノ・カネが幅を利かすご時世だ。少年たちが名声と富を求め、野球を本分・本業のように思い込むのは無理もない。加えて、系統だった文明観・社会観や批判精神に根ざしたジャーナリズムを喪失し、ただの「情報産業」と化したマス・メディアのポピュリズムが、スポーツを誇大に扱って、日本を野球漬けにしたことにも罪がある。
 そして、こうした風潮に、教育の本義を見失った学校経営者が同調した。結果はどうか。──走攻守に優れた野球少年をかき集めて地区予選を突破し、甲子園で何度か闘ううちに、校名は確かに轟き、相乗効果で選手も集まり、生徒も寄ってくるから、「経営」としては成功だ。しかし、大金を得て1人のプロ選手が生まれる蔭で、夢に抱いたカネも名声も得られずに捨てられていく、転進困難な失意の青年が生まれる。
 首尾よくプロ入りを果たしても、怪我だ病気だと若くして挫折する者も多い。野球以外の知識はあまり養っていないから、憧れの大リーグに加わっても、大半は中学程度の英語も話せず、一人では記者会見もこなせぬし、チーム・リーダーのポジションも与えられない。そして、富と名声に寄ってくる異性とのスキャンダル、詐欺まがいの投資に失敗しての破綻。やがて"廃棄"の処分。──教育の一環であるべき高校野球の歪みは、実態でも成果でも、極限に達している。(;)