品格と3ウナ2005年08月23日 08:01

 人格には「品格」と「才覚」の2面があって、両者が同じ背丈でそろっていることが最も望ましい。なのに、モノ・カネ本位の企業中心社会では、人間の評価や使い方を才覚重視に傾け、それが社会の欠陥を生んでいる。
 こういう社会では、集団も個人も熾烈な競争を生き抜くことが至上命題になるため、「品格など構っていられるか」という状況に陥り易い。そうなると、勢い、手段を選ばずカネになる地位を占め、遮二無二にカネを稼ぎ出す才覚を佳しとして、過ちを犯すことになる。
 最近の見本が、法律など知ったことかと、臆面もなく粉飾決算を重ねた、カネボウの帆足隆元社長らの旧経営陣である。株主・社員・取引先の損失や迷惑を計算範囲に入れなかったのだから、才覚さえ寸足らずだったのかも知れない。
 化粧品の販売子会社から売上げ競争を勝ち抜いてきた帆足氏を、親会社の社長にまで抜擢した先達経営者たちは、要するに、氏の品格の貧しさを見抜けず、または目をつぶって、目先の事態に対処し、同時に企業の社会的責任や信用にも目をつぶってしまった。
 品格は、恥を重んずる心の周りを、強い倫理観で包んだようなものだ。だが、廉恥心も倫理観も、教科書で身につく類のものではない。そもそも、この世をいかに生きてあの世へ向かうかを常に心して、モノ・カネに勝る価値を求める生き方に徹しなければ、人間としての自然な廉恥心も、揺るぎない倫理観も、身にはつかない。平たく言えば、「嘘つくな、奪うな、裏切るな」の「3ウナ」が、さりげなく実践できる能力になって、品格に実る。そして人は、品格の人物に吸い寄せられ、品格の人物に従う。
 品格は、「3ウナ」を無理なく実践できる人格者から、わが身に写し取るしかない。その奥底にある人生観ともども、素直に写し取るものだ。国家や企業はもとより、あらゆる組織は、その指導者が才覚に見合った品格を先達から受け継げていないと、千年の歴史をも危うくする。
 モノ・カネ本位の企業社会であっても、組織の頂点には確かな品格を備えた者を置き、才覚の人には金銭を与えてその暴走をたしなめるようでないと、組織は破綻し、白頭・禿頭を並べて叩頭を演ずるに至る。(;)

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