新年のご挨拶2006年01月02日 07:59

 明けまして、おめでとうございます。皆さま、 おすこやかに新しい年を お迎えのことと拝察いたします。お陰さまで、私もまた1つ星霜を重ね、 まずまずの健康状態で、豆を撒く春に臨むことができました。
 それでも、さすがに年齢相応の痛風や高脂血症などを背負い、今年は該数値の引き下げに精進する所存ですので、酒席などでの非礼はご容赦ください。
 旧年3月から、ブログ 『竹庵雑記』を、月~金曜日に1本ずつ公開して時評などを続けております。巨体を誇る新聞などの既存メディアが、大きさが故に本来の機能を失って行く昨今、何者をも恐れず、何者にも規制されずに、自在に発言できるブログこそ、今後のジャーナリズムの柱になることは間違いないと信じて励んでおります。
 新聞や雑誌に記事を書くのと違って、読者が、インターネット経由で即座に読後感や、ご意見を書き込んでくださるため、時間差の少ない、双方向のコミュニケーションを愉しめることも長所です。ご一読を。
 朝日新聞なども、ついに記事に記者名を添えるようになり、 長年の主張が実ってきたことを喜んでいます。 まこと、書く者は、正々堂々と名乗って書くのが、ジャーナリストとして当然です。
 目の黒いうちは、最後の最後まで、見聞きしたものについて、偏りなく正面から、旺盛な批判精神をまじえて書いてゆく覚悟です。
 終わりになりましたが、この1年の皆様のご多幸をお祈りいたします。(;)

見失ったもの2006年01月03日 08:22

 人は悪いことはしないいと思うのか、いや、人は悪いことをするものだと思うかで、世の中の風景はひどく変わってくる。かつてアメリカを旅した時、賭博の町ラス・ヴェガスだったと記憶するが、ホテルのベッドのサイド・ボードに「汝、罪人を作るなかれ」と、亀の甲文字で印刷したプレートが置いてあるのが気になった。
 ベッド・メイクに来たメイドに、「これは何だ」と訊ねたら、ユー・ノウ言葉で、「そのへんに、やたら現金や貴重品を置きっ放しにするな、ということですわ。ユー・ノウ?」と説明してくれた。つまり、人は悪事をするもので、いつも盗まれぬように用心しないと、お前が「罪人」を作ってしまうぞと、盗まれる方の「注意義務」を喚起しているのだった。
 幕末から明治にかけて、日本を訪れた欧米人の中には、日本人の正直さや、道徳意識の高さについて、紀行文などに特筆している者が少なくない。
 例えば、英国の伝説的な女性旅行家で世界の数十カ国を回ったイザベラ・L・バード(Isabella L. Bird =1831~1904)は、1878(明治11)年に単身来日して東北・北海道を旅し、旅行記『Unbeaten Tracks in Japan =日本の未踏街道』を遺しているが、日本人の礼儀正しさ、正直さ、貧しい中にも安易に金銭の謝礼を受け取らぬ高潔さなどに触れ、「独り旅の女性が危険な目にも、無礼にも会わず、日本ほど安全に旅行できる国は、世界にない」と書いている。
 彼らにとって、落とし物が必ず手元に戻って来たり、置いたものが決して失せたりしないことは、当時の欧米社会でさえ稀なこととして、敬意を誘ったのだ。つまり当時の日本では、「罪人」を作ろうにも、「お天道さま」が見ておられ、親から子へと心に刻まれた「了見」が許さなかったのだ。
 だが、文明開化に邁進し、文明の衝突に敗れた結果、日本も西方と同じく、「罪人を作らぬ」視点の社会に成り下がったようだ。モノ・カネを価値体系の最上位に置いたが故に、道徳・良心・信義・誇りの如き、見えないものの価値を見失い、腰に鍵束をジャラつかす文化に占拠されたのだ。嗚呼。(;)

弱い自分とは2006年01月04日 08:03

 去年の暮れから、世間に不安と不信をばら撒いている「耐震強度欺罔事件」は、年明けさらに波紋を広げそうな気配である。
 新聞などは「耐震強度偽装事件」と呼んでいるが、これは明らかに計画的な詐欺であり、上辺を繕って他を欺く「偽装」のようなナマやさしい悪事ではない。他人の生命を危うくする犯罪であり、「欺罔」とか「詐欺」という言葉を使うべきだ。
 それはさておき、この事件で国会の証人喚問に呼ばれた姉歯秀次元1級建築士の証言には、身につまされた人が多かったのではないか。
 彼は、設計発注者の木村建設東京支店長に、強くコスト削減を求められる。これに応えるには鉄筋を減らすしかないことを識っていて、「これ以上はできない」と断ったが、「それなら他の事務所に頼む」と告げられると、「病身の家族もいることだし、注文を断たれては、やって行けない」と、結局、引き受けてしまったことを告白した。そして、違法であることを識っていながらやったのは、「弱い自分がいたからだ」と、述べたのだった。
 確かに、人間の内に別の弱い人間が潜んでいるように見えることがある。日ごろ、強い人間と気張っていたり、また、他人には強い人間のように見えていても、案外もろく内なる弱さをさらけ出してしまう例を、何度も見てきた。
 しかし、多重性格のような病的なものは別として、人間が入れ籠人形のように全く異なった人格をさらけて、普段はしないことをするというのは頷けない。
 結局、姉歯元建築士の告白も、自分の悪行の責任を他に転ずると同じ、弁解の類にすぎまい。もともと、この人物は善悪の判断に弱かったと言うべきだ。それも、もし大地震が起きたら、他人の命が失われかねない悪事を、自分の生存のために敢えてなすほど、自分に弱かった。
 ここでいう人間の弱さは、やってはならぬことを目先の利益を優先させてやってしまう弱さである。それは、社会人として生きて行く「術」は教えても、生きる上での「善悪良否」や「基本的な倫理」について、親も師匠も学校も宗教も、満足に教えなくなった時代の必然的な産物である。(;)

民営化の欠点2006年01月05日 08:16

 規制緩和と民営化の波は、小泉内閣になってから一段と激しさを強めている。郵政3事業をはじめ、「官でできることが、民でできぬはずがない」と、何でもかんでも民営化強行の観がある。
 だがしかし、特定の公益業務には、民営化への移行が、かえって社会的な不利益を生むものがあることに、国民は気付くべきだ。昨年末以来、「耐震強度欺罔事件」で問題になっている「建築確認業務」も、その一つである。この業務は、建築業者によって建てられるマンションなどの建物が、地震などの際に一定の耐久力を備えた設計・構造になっているかなどを、国民の「安全」ひいては「人命尊重」の観点から技術的に審査する仕事である。
 「官の業務」には、本来的に利益・利潤を度外視し、公益のみを追い求める公正さと、厳正さが課せられている。これに対し「民の業務」は、あくまでも利益・利潤の追求を目的とするもので、公益性の追求には一定の限界がある。
 早い話、鉄道事業には公益性の極めて高い業務を求められるが、利益追求のあまり、安全という公益を軽視して破綻する例を、私たちは見ている。このように、公益業務の中には、公権力に任せた方が望ましい、「官に委ねるべき業務」がある。
 1998年6月の建築基準法の大改定によって、それまで役所が行っていた「建築確認業務」が、「規制緩和・民営化推進」の名の下に民間に開放された。結果として、それまでゼロだった民間企業による建築確認業務が急速に増え、2003年度には、全国約75万件のうちの45%強に膨れた。"何でもかんでも民営化"派にとっては、我が意を得たりというところだろう。
 しかし建築確認業務を行っている業者間に、業務処理の料金、迅速性、審査の"柔軟さ"、キック・バックなどを巡って厳しい競争があり、業界内部の良心派には、審査に厳格さが欠けることを憂慮する声がある。
 ビジネスの世界、とりわけ職業倫理の衰えが目立つ日本のビジネス界では、民営化の代償や副作用に対して、よほどしっかりした歯止めがないと、国民が犠牲になる。(;)

改革のルーツ2006年01月06日 08:07

 姉歯元1級建築士の耐震強度欺罔に端を発した社会不安の震源地はワシントンである、と言ったら怪訝に思う方が多いだろう。しかし、この事件の根を丹念にたどっていくと、このような結論を掲げてもおかしくはない。
 1993年、時の宮沢喜一首相は、就任早々のクリントン米大統領との会談で「日米構造協議=Structural Impediment Initiative=正確な邦訳は<構造上の障害に関する提言>」を受け入れる。「ケイレツ」や「ユチャク」が、日米経済交流に摩擦を生じていた時分だ。
 以来、米商務省は毎年、日本政府に対して「U.S.-JAPAN REGULATORY REFORM AND COMPETITION POLICY INITIATIVE=米側邦訳は<日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく米国政府要望書>」をまとめ、詳細かつ具体的に「規制改革」や「民営化」についての政策要求を示し、わが国の歴代政府に実践を求めて来た。
 最新版の「要望書」は、2005年12月7日付で、駐日米大使館のホーム・ページに、公然と掲載されており、日本語の"仮訳"は、クリック一つ、http://japan.usembassy.gov/pdfs/wwwfj-regref20051207.pdf で読める。
 「橋本行革」とか「小泉改革」と呼ばれる政策になった「電気通信改革」「金融再編」「商法の大改正」「陪審制の導入に代表される裁判制度改革」「法科大学院制」「流通改革」「郵政改革」などは、すべて、一連の「米国政府要望書」に盛られた事項ばかりだ。
 耐震強度欺罔で問題化した「建築確認業務の民間開放」もまた、「要望書」に掲げられた1項目にほかならない。おかしなことに大メディアは、今までこの「要望書」の存在にほとんど触れることがなかった。そればかりか、「要望」と小泉改革の関連を衝いた国会での論議も、まともには報道していない。
 核の傘で国家の安全を守って貰い、貿易や国際金融、さらには食糧供給の面などでべったり依存し、米国への同化要求を受け容れて来た政治が、姉歯の犯罪の根源にある。(;)