民営化の欠点2006年01月05日 08:16

 規制緩和と民営化の波は、小泉内閣になってから一段と激しさを強めている。郵政3事業をはじめ、「官でできることが、民でできぬはずがない」と、何でもかんでも民営化強行の観がある。
 だがしかし、特定の公益業務には、民営化への移行が、かえって社会的な不利益を生むものがあることに、国民は気付くべきだ。昨年末以来、「耐震強度欺罔事件」で問題になっている「建築確認業務」も、その一つである。この業務は、建築業者によって建てられるマンションなどの建物が、地震などの際に一定の耐久力を備えた設計・構造になっているかなどを、国民の「安全」ひいては「人命尊重」の観点から技術的に審査する仕事である。
 「官の業務」には、本来的に利益・利潤を度外視し、公益のみを追い求める公正さと、厳正さが課せられている。これに対し「民の業務」は、あくまでも利益・利潤の追求を目的とするもので、公益性の追求には一定の限界がある。
 早い話、鉄道事業には公益性の極めて高い業務を求められるが、利益追求のあまり、安全という公益を軽視して破綻する例を、私たちは見ている。このように、公益業務の中には、公権力に任せた方が望ましい、「官に委ねるべき業務」がある。
 1998年6月の建築基準法の大改定によって、それまで役所が行っていた「建築確認業務」が、「規制緩和・民営化推進」の名の下に民間に開放された。結果として、それまでゼロだった民間企業による建築確認業務が急速に増え、2003年度には、全国約75万件のうちの45%強に膨れた。"何でもかんでも民営化"派にとっては、我が意を得たりというところだろう。
 しかし建築確認業務を行っている業者間に、業務処理の料金、迅速性、審査の"柔軟さ"、キック・バックなどを巡って厳しい競争があり、業界内部の良心派には、審査に厳格さが欠けることを憂慮する声がある。
 ビジネスの世界、とりわけ職業倫理の衰えが目立つ日本のビジネス界では、民営化の代償や副作用に対して、よほどしっかりした歯止めがないと、国民が犠牲になる。(;)