錯覚の不思議2006年01月18日 08:10

 車を運転していたら、バック・ミラーに映った後続車の、不思議な様子に気付いて心を乱された。妙齢の女性が運転している、のとは関係ないだろうが、女性は確かに国産車の右ハンドルの席に座っている。
 ころが、ナンバー・プレイトの文字は「裏文字」になって、右から左へ書かれているように見える。この違いをどう理解したらよいのか。旧友で「科学少年」だった男に尋ねたが、要領を得ない。明らかに錯覚のうちの「錯視」であろうが、どなたか、分かり易くお教えください。
 因みに、自動車用語は日本独特の呼称が多く、今使った「バック・ミラー」は歴とした日本語。英語では、rear mirror、driving mirror、rearviewである。「ナンバー・プレイト」はイギリスでは通ずるが、アメリカではlicence plateだ。「ハンドル」はsteering wheel。
 同様に、「フロント・グラス」と言っても、まるで通じない。米でwindshield、英でwindscreenだ。「ボンネット」はイギリスで通ずるが、アメリカではhoodである。後部の「トランク」は通ずるが、英ではbootが一般的で、トランクの蓋はboot lid。「ウィンカー」は、米英ともblinlkersが普通。──みんな、日本人の英語を錯覚させる基である。もっとも、そのうち日本流の呼称が世界共通になりそうな日本車ブームだが……。
 芸術家の中には、鑑賞者の錯覚を逆手に取って、巧みな表現をする者がいる。画家のアングルの、解剖学を無視した四肢の意図的不均衡や、グレコの縦細の面立ちの美とかがその手だが、ピカソの肖像画となると、もはや錯視は誘わない。
 昔、神田の飲み屋で、板さん相手に言葉談義をしていたら、隣席の生酔い氏が、「ところでダンナ、『呼吸』と言うが、『呼気』はどっちだ」ときた。とっさに、「気を呼ぶのだから、吸う方だ」と答えたら、「そんじゃ『吸気』はどうなんだ」と迫られて往生極まった。
 くだくだと絡まれたが、とっさの錯覚、勘違いだった。「おーい」と呼ぶ時は、確かに息を吐いている。ものの本によると、人間の知覚は、ほとんど錯覚だというが、評論を業とする者は、生理作用に甘えてはいられないから苦労だ。(;)