皇室の公私(上)2006年01月26日 08:12

 かねがね気になっていたことだが、ひとこと言っておこう。
 皇太子一家の「公私の認識」についてである。案じていた状況が、次第に深刻な形で表沙汰になって、去年の秋ごろから週刊誌が取り上げることが多くなった。大新聞には、基本的に皇室などどうでもいい、むしろない方がいいという考えの人間が多いせいだろうか、正面切って問題にした例を知らない。
 しかし天皇は、憲法で定められた「日本国と日本国民統合の象徴」であるだけでなく、日本古来の文化である、神と自然と人の調和、そして天下万民の安寧を願う、さまざまな祭儀を司る役割を、生来負っている。
 当然、その家族である皇后や皇太子をはじめとする皇族も、ほとんど「私」のない、「公」への奉仕に献身する日常を、国民から期待されているのであり、それゆえ庶民の敬愛を集め、並みの人間には手の届かぬような特別な待遇を黙認されている。
 ところが、週刊誌などで伝えられる情報や仄聞によると、雅子皇太子妃と敬宮の「わがまま」と、皇太子の「放任」は、今や目に余るものがあるようだ。宮内庁の幹部や、誰よりも天皇夫妻は、皇太子一家の"核家族的"な勝手放題をどう見ているのだろう。なぜ放置しているのだろう。
 宮中では、正月3日朝には恒例の「元始祭」が催される。年初に際し、両陛下が宮中三殿に拝礼し、皇位の元始を祝い祖霊・諸神を祀る儀式だ。両陛下に続き、皇太子夫妻が礼拝する運びになっているが、皇太子妃は、3年連続で今年も欠礼した。ところが、その午後には、東宮御所を訪れた皇太子の学友4人とその家族とともに、皇太子妃も談笑の座に加わったというのだ。
 戦後の皇室制度では、「元始祭」は天皇の「公務」ではなく「皇室行事」ではある。しかし、天皇家の存在と、天皇家によって民族の精神的・文化的伝統が継承される事実までを含めて、「象徴天皇制」を認めている日本国の国民としては、皇太子夫妻の「私」優先の生き方を支持できない。皇室は、ただの家庭ではない。国家と国民に、皇室ならではの重大な責務を負っているのだ。(;)