文化薫る外交2006年02月01日 07:59

 ベルナール・ド・モンフェラン(Bernard de Montferrand)駐日フランス大使の後任に、ジルダ・ル・リデック(Gildas Le Lidec)氏が着任した(1月18日)。
 新聞報道によると、子供のころに読んだというピエール・ロティ(Pierre Loti、本名ルイ・マリー・ジュリアン・ヴィオー=Loui Marie Julien Viaud。1850~1923)の有名な小説『お菊さん=Madame Chrysanthème』で、日本の自然美と繊細な文化に惹かれ、北斎や広重に触発されて日本語を学び外交官になったという、1948(昭和23)年生まれの知日派である。
 1973(昭和48)年から4年の初任地が、希望通りの日本大使館。85年から88年まで再度駐日文化参事官を勤め、今回が3度目の日本勤務。前2回の日本勤務中、長崎はもとより日本中を旅し、東京では蕎麦屋や銭湯の常連となった。小津安二郎の世界がわかるフランス人だ。
 ロティは、海軍中尉として1985(明治18)年に長崎に来日、1ヵ月ばかりの滞在中に同棲した日本女性をモデルに、93年、『お菊さん』を書いた。世界を股に航海する海軍士官の"ミナト、ミナトに"をテーマにした一連のエキゾティック恋愛小説の1作品だが、優れた文明批評や自然描写によって、本国ばかりでなく西欧各国で翻訳・愛読され、数多くの日本情緒ファンを作った。
 知日派のフランス大使と言えば、ポール・クローデル(Paul Louis Charles Marie Claudel、1868~1955)の名を落とせない。外交官試験をトップ合格した役人というより、詩人・劇作家・宗教思想家であり、日本には1898(明治31)年の訪問に続き1921(大正10)年から6年滞在、日仏会館の創設など文化交流に貢献した。日本文化の鋭い理解者でもあり、随想集『朝日の中の黒鳥=L'oiseau noir dans le soreil revant』がある。ル・リデック大使に第2のクローデルを期待したい。
 フランス外交には、文化交流を重視する側面が強調され、優れた成果を生んで来た。経済関係は商務官に委ねれば、という考えも立つ。ライス米国務長官が唱える、将来の経済関係を予測して、仏独などから中国やアフリカ諸国へ外交官をシフトする「外交再編構想」とは好対照だ。(;)

科学者の勇気2006年02月02日 08:05

 1月29日付のニューヨーク・タイムズが、怖いニュースを伝えた。NASA(米航空宇宙局)のゴダード宇宙研究所で長いこと所長を勤めている著名な気象学者、ジェームス・E・ハンセン=James E.Hansen=博士(63)が、「地球温暖化の原因になっている二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を速やかに減らすべきだ」と、昨年12月初めに学会の講演で訴えて以来、ブッシュ政権の意を汲んだNASAの公務外活動管理官から、発言封じ込めの圧力を受けている、というのだ。
 同博士は、1967年にNASAに入り、ゴダード研究所でコンピューターによる地球気象の模擬実験と取り組んできた。1988年からは、二酸化炭素などの長期的な温室効果による地球温暖化に警告を発し続けている。2001年には、チェイニー副大統領に2度呼ばれ、気象変動について進講もしている。
 当時、大統領府の高官は、大気中の微粒炭素浮遊物質の除去が、二酸化炭素の排出規制より遙かに容易で温室効果抑制に効果があるとの、博士の指摘に関心を抱いていた。
 ところが、大統領選を控えた2004年、博士がアイオワ大学で行った講演で、政府の気象学者たちは、温室効果による地球温暖化について語ることを禁じられていると批判し、自分は民主党のジョン・ケリー候補を支持すると断言して、ホワイト・ハウスの不興を買うことになった。
 12月の講演後、同博士はNASA本部から講演草稿、研究所のサイトへの書き込みなども調べられ、メディアとの接触を制限された上、「おしゃべりを続けると酷い目に遭うぞ=there would be "dire consequences"」と脅されてもいるという。当局側はこれについて、公務員の公務外活動の管理に過ぎないとしている。
 しかし博士は、「明文化されたNASAの任務に《我らの地球について識り、我らの地球を守る》という文言がある以上、この問題について発言しないのは無責任だ」と、徹底抗戦の構えだ。
 ブッシュ大統領は、31日の一般教書演説で「米国は石油中毒に罹っている=America is addicted to oil」と戒めたが、その結果の"二酸化炭素中毒"や異常気象災害への警告は、強権を揮って沈黙させたいようだ。(;)

記者の勇気(上)2006年02月03日 08:02

 パミラ・ヘス(Pamela Hess)は、米国防総省(ペンタゴン)を担当する、UPI通信の女性記者である。1999年にUPI入社、アフガニスタンのカブール勤務や、ホワイト・ハウス詰めの経験もある。
 昨年は、8月から10月初めまで9週間にわたって、流血が止まないイラクを現地取材している。その彼女が、記者としての戦場体験を踏まえ、勇気ある「問題提起」をした。
 1月31日付で彼女が書いた「ウッドラフ重傷の報道に米兵の疑問」というタイトルの記事には、一線で闘う兵士の視線で捉えた戦争報道と、有名人偏重社会への批判が篭められている。
 「ウッドラフ」とは、1月29日、イラク中部タージ付近で、新生イラク軍の装甲車に乗って取材中、道路脇に仕掛けられた爆弾と、追い討ちの銃撃で重傷を負った米ABCテレビの看板ニュース番組「World News Tonight」の新キャスター、ボブ・ウッドラフ=Bob Woodruff(44)のことだ。この攻撃で、同僚のカメラマン、ダグ・フォークト(Doug Vogt)も大けがをした。
 イラク戦線では、兵士らもインターネットを通じて本国のテレビ番組や新聞の電子版に接することができる。2人の災難には、兵士らもみな同情し、容態を気遣ったが、ヘス記者のもとには、1士官のこんなメイルがイラクから届いたという。──「重傷の2人が、なぜあんなに大ゲサに扱われるのか。彼らの災難を、新聞という新聞が1面で報じ、アメリカ中のテレビが流したことに、僕らはびっくりしている。まるで、第1海兵師団かなんかが全滅したような騒ぎだ」。
 ヘス記者は、別の高級将校が同僚記者に話した言葉も伝える。──「問題は、記者さんたちの方が、いつも、ただの兵隊たちより大事にされているってことだ」と。
 そして、バグダッド駐留の他の将校からのメイルも紹介している。──「アメリカ人、イラク人を問わず、20代、時に10代の若者に、ここで毎日起きている悲劇を、ドラマ仕立てにして見せられるのもムカつくけれど、この事件でのイラク人の死傷については、まるで意味がないみたいに、一言も触れない報道もあるが……」。(;)

記者の勇気(下)2006年02月06日 08:25

 ヘス記者によると、イラク戦争が始まった2003年3月から今年1月末までに、少なくも2,242人の兵士が死に、約16,000人が負傷、その半数が後送されるほどの重傷だという。一方、ジャーナリストも、61人がイラクで死んでいる。しかし、その多くがイラク人やアラブ人だ。
 それにしても、「セレブ偏重文化=selebrity culture」に傾いているアメリカ社会では、ウッドラフのような有名人の遭難の方が、数多くの名もない兵士の死傷より、断然、ニュース価値があるとみなされる。
 1月30日のABCニュースは、ウッドラフが担ぎ込まれたイラクのバラド(Balad)空軍基地の野戦病院の様子を放映した。それは、最高の軍医と設備を備え、同時に2つの神経外科手術ができる、移送可能の緊急治療室で、米国内の並みの救急治療室より上等なものだった。
 銃後のアメリカ人は、いわばウッドラフたちのお陰で、イラクで重傷を負った兵士らがどんな風に応急処置を施され、ドイツのランドシュタール(Landstuhl)空軍基地に運ばれて行くのかを知ることができた。それは、これまでメディアが報じなかった「戦争の一部」だった。
 加えて、ヘス記者はこう書く。──ウッドラフは、イラク行きを買って出た。ただ、報道人のイラク行きは期間も短く、取材に出掛ける前にリスクも計算できる。
 しかし兵隊たちは、命令に背くことは出来ず、7~12ヵ月の従軍中に、戦友が手足を失ったり殺されたりするのを必ず目撃する運命にある。彼らも志願してイラクに行くが、受け取るカネは遙かに少ない。
 同記者は、締め括りにペンタゴンがまだ発表していない11人の兵士の氏名・年齢・階級・出身地・戦死の状況をメモしたリストを暴露する。11人は、ウッドラフが重傷を負ったと同じ週に、イラクで戦死したか、戦傷を負って後送された後、同じ週に死亡した若者たちだ。うち、3人の30代を除く8人は、20歳~28歳の若さであった。
 彼らと、彼らの遺族にとっては、戦争はすでに終わったにひとしかろう。そして新聞記者が、勇気を奮って真実を伝え始める時、戦争は終わりに近づく。(;)

文明の衝突(1)2006年02月07日 08:19

 今、地球上の各地に戦禍を撒き散らしている、欧米キリスト教世界とイスラーム世界の対立が、紛れもない「文明の衝突」であることを証明する、新たな"戦線"が出現した。
 イスラームの予言者ムハンマドの肖像を、デンマークの保守系紙「ユランズ・ポステン=Jyllands-Posten」が、12人の漫画家に風刺画として描かせ、「ムハンマドの12の顔」と題して掲載したのだ。原稿料は1点約15,000円。昨年9月末のことである。
 コペンハーゲンに駐在するイスラーム諸国の大使らは、同紙に謝罪を求め、ラスムッセン首相に取り締まりを要求した。保守・親米派でイラク戦争を支持する首相は、イスラーム信徒の抗議に理解を示しながらも、欧米近代文明の重要な柱の一つ「表現の自由」を説いて、要求は退けた。
 イスラームは、ムハンマドの教えに従って偶像を禁止している。信仰の純化を求める目的で、キリスト教にもユダヤ教にも同じ思想はある。が、イスラームでは特に厳しく守られ、アフガニスタンのバーミヤンの大石仏が、原理主義者らによって破壊されたのも、この教義による。
 それだけに、ムハンマドを戯画化し、頭部を導火線に火がついた爆弾に擬したり、これも戒律で禁じられた同性愛を絡ませた絵を見せられたイスラーム信徒は、泥靴で頭を蹴られた思いがしただろう。暮れに、事件がデンマークとサウジなどイスラーム諸国の外交問題に発展すると、独・伊・仏・蘭・スペイン・チェコなど欧州十数カ国の新聞がニュースとして取り上げ、「読者の判断材料」として、発端となった風刺画を相次いで転載した。この結果、騒動は年が明けてイスラーム圏の大衆による抗議行動に広がった。
 大衆行動が急速に世界に伝播するのは、衛星通信時代の特徴だ。2月4日には、シリアの首都ダマスカスでデンマークの大使館を焼き討ちした群衆がノルウェー、フランス両大使館にも押しかけたのをはじめ、レバノンのベイルートでもデンマーク領事館が大群衆に放火された。騒ぎはパレスチナ、インドネシアにも飛び火した。6日には、遂にアフガニスタンのデモで4人の死者が出た。 
 問題の根は深く複雑に絡んでいる。本来は同根であるキリスト教・ユダヤ教、そして「教」とは呼ばないイスラームが、風刺画ごときで、なぜこうも争うのか。改めて、その根底を考えてみる。(;)