記者の勇気(下)2006年02月06日 08:25

 ヘス記者によると、イラク戦争が始まった2003年3月から今年1月末までに、少なくも2,242人の兵士が死に、約16,000人が負傷、その半数が後送されるほどの重傷だという。一方、ジャーナリストも、61人がイラクで死んでいる。しかし、その多くがイラク人やアラブ人だ。
 それにしても、「セレブ偏重文化=selebrity culture」に傾いているアメリカ社会では、ウッドラフのような有名人の遭難の方が、数多くの名もない兵士の死傷より、断然、ニュース価値があるとみなされる。
 1月30日のABCニュースは、ウッドラフが担ぎ込まれたイラクのバラド(Balad)空軍基地の野戦病院の様子を放映した。それは、最高の軍医と設備を備え、同時に2つの神経外科手術ができる、移送可能の緊急治療室で、米国内の並みの救急治療室より上等なものだった。
 銃後のアメリカ人は、いわばウッドラフたちのお陰で、イラクで重傷を負った兵士らがどんな風に応急処置を施され、ドイツのランドシュタール(Landstuhl)空軍基地に運ばれて行くのかを知ることができた。それは、これまでメディアが報じなかった「戦争の一部」だった。
 加えて、ヘス記者はこう書く。──ウッドラフは、イラク行きを買って出た。ただ、報道人のイラク行きは期間も短く、取材に出掛ける前にリスクも計算できる。
 しかし兵隊たちは、命令に背くことは出来ず、7~12ヵ月の従軍中に、戦友が手足を失ったり殺されたりするのを必ず目撃する運命にある。彼らも志願してイラクに行くが、受け取るカネは遙かに少ない。
 同記者は、締め括りにペンタゴンがまだ発表していない11人の兵士の氏名・年齢・階級・出身地・戦死の状況をメモしたリストを暴露する。11人は、ウッドラフが重傷を負ったと同じ週に、イラクで戦死したか、戦傷を負って後送された後、同じ週に死亡した若者たちだ。うち、3人の30代を除く8人は、20歳~28歳の若さであった。
 彼らと、彼らの遺族にとっては、戦争はすでに終わったにひとしかろう。そして新聞記者が、勇気を奮って真実を伝え始める時、戦争は終わりに近づく。(;)