文明の衝突(3)2006年02月09日 08:13

 西欧キリスト教社会は、16世紀から17世紀前半にかけての「宗教革命」によって、まずカソリック教会の桎梏から自由になった。次いで17世紀から19世紀にかけての「市民革命」に伴って確立された人権思想によって神を殺し、その束縛からも解き放たれた。そして20世紀以降、精神生活の中の宗教は急速に弱体化し、慣行と儀礼に余命を保つ方向へ向かっている感がある。
 このような歴史は、「自由」と「人権」の思想を拠り所にした「人間中心主義」が、「神の支配」を否定する流れの中で刻まれた。しかし、人々は思想・倫理・道徳といった精神活動における自由を手に入れた半面、代償として「人を人たらしめる、神による規範」の数々を捨てて行った。
 現代欧米文化は、こうして人間中心主義を採ったがために、放縦と欲望の虜になった。なぜなら、生き物としての人間にとって、自由への欲求には際限がなく、人権の主張にも限りがないからである。
 あらゆる古典的宗教が、「戒律」を持つ。信心をする者は、自ら人としてあるべき姿をを求め、行いを戒める努力を重ね、神仏や預言者の示す社会的な規律に従うことで、心と行いを正し、安心立命の境地を得ようとする。煎じ詰めれば、「戒」と「律」の実践へ向けて修行することが信仰であるとさえ言える。
 だが、人間中心の思想は、「人のあり方」と「社会的規律」に、懐疑主義を持ち込んだ。どこまでが「人を人たらしめるのか」、何をもって「人を規律するのか」を、改めて模索せざるをえなくなった。
 もともと、これらの定義は、先達が何百年もの年月と論争を重ね、「神」の名の下に「戒律」として集大成したものだった。神を殺した西欧の人間は、その知恵の集積を擲って迷走を始めた。
 一方、大航海時代から始まった、西欧世界の膨張は、世界の各地にその植民地を形勢し、政治・経済・文化面での世界的な西欧化が進んだ。やがて、その波は日本にも達し、強要された開国の結果、日本もまた生き延びるために、その感化を受けざるを得なくなった。
 だが、伝えられたものは、宗教革命や市民革命という流血の経過を省いた、神が死んだ後の「人間中心主義」であった。(;)