文明の衝突(9)2006年02月17日 08:04

 これまで紹介したように、イスラームは単なる宗教にとどまらず、ムスリムの生活規範になっている。さらに言えば、イスラーム圏の政治や経済、社会に、そして倫理観に、深くその教義が滲透しているのである。
 教義の根幹はクルアーンだが、アラビア語で「賞賛すべき人物」を意味する預言者ムハンマドの言行録「ハディース」にも、数多くの戒律や処世の心得が含まれている。
 それらの中には、「現世の財貨は悪魔がもたらしたもので、苦悩の源である。ただし、その一部をアッラーに捧げれば、残りの部分も浄化される」という考えもある。また、利子について、クルアーンはアッラーの意思に反するものとして否定的である。
 例えば、クルアーンの第2章【雄牛】275節には、「利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。…アッラーは、商売を許し、利息(高利)を禁じておられる」とあり、第30章【ビザンチン】39節には、「利殖のために、高利で人に貸し与えても、アッラーの許では、何も増えない。だがアッラーの慈顔を求めて喜捨する者には報償が増加される」とあるように、各所で高利や利殖を戒め、他方でサダカを勧めている(クルアーンの邦訳は、日本ムスリム協会の「日亜対訳注解」による)。
 このような社会規範が支配する世界に、経済の国際同化を掲げ、市場経済原理やら金融資本主義やらを押しつけようとしても、摩擦どころか抵抗と衝突を生むのは必然である。
 イスラームにはイスラームの世界観と独自のルールがある。政治形態や統治システムについても、神の支配を認めず、至らぬ人間の知恵で作った、果てしない補綴を要する法規に従い、多数決原理でことを決する「民主社会」より、ウンマの方がはるかに優れていると、彼らの多くが信じているのだ。
 欧米、殊に米英の政治指導者は、国民の血を流してでも、自由主義や民主主義、市場原理や経済の世界同化をイスラーム圏に広げようとしているが、果たして歴史的・社会科学的に正しいのだろうか。(;)

コメント

_ Arai Yoshinori ― 2006年02月17日 14:26

イスラム圏に米英というかグローバル企業の求める「民主社会」、市場原理や金融資本主義などなどを広めるのは、単に市場を広げたいためではなかろうか。世界同化とは市場の拡大のことで、そこに歴史的、社会科学的な正しさなどあるわけはなく、際限のない経済発展という欲望のみではないか。

_ 竹庵(Arai様へ) ― 2006年02月17日 20:24

 Arai Yoshinori様。初めまして。お寒い中、よくお越しくださいました。熱いだけが取り柄の、粗茶でもどうぞ。
 全く、仰る通りで、困ったものです。今後とも、どうぞご遠慮なく、コメントをお寄せください。

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_ Cipro. - 2007年04月20日 07:21

Cipro.