文明の衝突(14)2006年02月24日 07:54

 デンマークの保守系紙「ユランズ・ポステン」が火をつけ、西欧の紙誌が油を注いだムハンマドの風刺画掲載に対するムスリムの抗議行動に、いくらか沈静化の兆しが見えてきたようだ。
 とはいっても、2月4日、シリアの首都ダマスカスでデンマークの大使館を焼き討ちしたムスリムの群衆が、ノルウェーとフランスの大使館にも押しかけたのを皮切りに、中近東・アフリカから、東はマレーシア・インドネシア・香港にまで広がった激しい抗議行動で、報道されただけでも、すでに約80人の命が失われた。ナイジェリアでは、キリスト教会が焼かれて、多数の死傷者を出し、アフガニスタンやインドネシアと並んで、激烈な「宗教紛争」の様相を呈している。
 騒ぎがやや鎮まった要因として、ローマ法王や何人かのイスラーム指導者、国連事務総長やユネスコ事務局長らが、西側のメディアとイスラーム社会に自制と冷静な対応を真剣に呼び掛けた努力を評価すべきだ。
 さらに言えば、騒ぎを"商機"と捉え、問題の風刺画を大々的に特集して売りまくったフランスの一部週刊誌などと対照的に、英国や米国を中心に、欧米メディアの大勢が務めて自制的だったことも、騒乱の拡大にブレーキをかける使命を果たした。
 法治主義と三権分立に立脚する議会制民主制度を、人間の手が届く至上の統治システムとする西側社会では、言論の自由に対する規制は、何であれ、本来あってはならない。
 さりとて、宗教問題や民族問題のような、根本的に異なった価値観と尊厳に触れる言論には、その自由を自ら矯める「マナー」が不可欠だ。それを欠くと、言論が暴力を生むことになる。
 この欄でも何度か指摘したが、冷戦構造崩壊後の世界は、復活した民族主義を基軸にした多極化の時代にある。その民族主義には、宗教問題が密接に絡んでいる。
 このような世界で、民族が共存共栄を図るために何より大事なのは、互いの相違を正しく理解し、互いの価値観を尊重し合うことだ。世界には言論の自由より、信仰の尊厳を価値観の上位に置く人々もいるのである。(;)