クマとの同居2006年05月03日 07:50

 4月17日のこの欄をお借りして、わが上野動物村で進められていると伝えられました、クマと小動物の同居ばなしについて、皆さんに取り急ぎご報告し、恐怖におびえていた私どもの気持ちを訴えた私、タヌキのタンです。その節は、たいへんお騒がせしました。
 新しいクマ舎の完成に合わせ、「クマとタヌキなどを同じ区域に放し、緊張感ある野生の姿を再現することが狙い」とA新聞が伝えたこの新方式は、すでに4月28日から実施に移されています。
 しかし「同居」の仕方が、実際は新聞報道とは少し違いましたので、再びこの場をお借りし、お礼かたがた、現状をご報告申し上げます。私どものような小さな生き物を慈しんで下さる皆さまが、村役場に続々と電話を掛け、「考え直せ」とおっしゃって下さった由。心から感謝しております。
 この一大事を、A新聞の4月12日の夕刊で知り、私に急報してくれたネズミのチュー太夫妻は、「そんな風には、書いてなかったけどなぁ……」と、今もいぶかるのですが、実際は、私ども小動物がクマ公と鉢合わせしないよう、同居エリアの一隅に、私どもしか通れない仕切りが作られたのです。この仕切りは、2ミリアンペアの弱い電流が流されている「電柵」なので、仮に日中、クマ公が私どもに手を出そうとしても、ピリピリッと来て退散させられる寸法です。
 結果として私どもは、夕方、クマ公が寝小屋に入れられた後は、この仕切りから同居エリアに散歩に出て、夜明けまで走り回れるようになりました。もともと私ども、昼間はいつも穴グラで寝ていて、暗くなってから動き出す「夜行性」ですので、クマ公たちとうまく「同棲」できるってわけです。
 発端の記事では、「クマが近づいて小動物が逃げる姿を、人間たちに見せたい」と言ったとかいう課長や、園長を非難する投書が、A紙にも"殺到"したとか。その1通が、4月25日の朝刊投書欄に載り、29日の同じ欄には園長の回答が載りました。どうやら初報で伝えられた「同居」の仕方と、実際とが違ったみたい。なら、なぜ「投書」に委ねず、「続報」で伝えてくれなかったのでしょうね。(;)

コメント

_ 天原一精 ― 2006年05月04日 05:10

 タヌキのタンちゃん、よかったですね。お堀端のカルガモの矢が抜けて、再び力強く空に舞い上がったような晴れ晴れとした気持ちになりました。

 これも生き物のことですが、過日NHKを見ていましたら、スマトラの象が激減の憂き目、それというのも、原生林の伐採のせいで、生息地を追われて、村付近に出没しては人家を襲ったりするので、おれたちの敵だ! となって、殺されているのだそうです。

 人類の文明とかいう代物のせいで、特に先進国の間で紙が大量消費されるため、表向きは成長の速い樹木を植えたいから、らしいのです。(日本の人工林がいかに生態系を荒らしたことか! ハッチョウトンボもそのせいでした)

 経済関係者の間では、経済の成長率の予測に神経をすり減らし、かつ一喜一憂しています。成長や発展は必要ですが、できることならば、物質消費の拡大を伴わないそれを望みます。風が吹けば箱屋が儲かる、の類の話かもしれませんが、せめて、成長論者は、GDP何%論が、象の死を、絶滅を、促進する遠因になる辺りに惻隠の情を覚えながら語ってほしいと思います。

 せめて竹庵先生、お話のような、貪るこころを抑えながら、八分目の満足で生きていく、常日頃の心がけがほしいと思いました。かつて「清貧の思想」が多く読まれたとき、だれかジャーナリストが笑いました。大きいことはよいことだ、消費は美徳だ、その類の、清貧なんて今時なんだ! といった話だったと記憶します。

 タヌキのタンちゃんだって、象だって、トンボだって、人のために命があるのではなく、君たちのためにこそあるはずだよ…。チョウもトンボも、野の花もみんな友だち。そう思えるこころをどうやって育て、おとなになっても変わずにそのこころを保ち続けられるか、ブッシュも金正日も…。

 このためになればこそ、タンちゃんも狭い檻に入れられた意味もあろうというものですね。タンちゃん、檻に入ったのはそういう願いがあるのだから、がんばってください!
 ともかく、めでたしめでたし、のついでに余計なことを書いてしまいました。

_ 竹庵(天原一精様へ) ― 2006年05月04日 09:33

 天原一精様。JR京浜東北線・本郷台駅のホームから見上げられた、鬱蒼とした木々に覆われた山が、5月に入って突然、裏側から切り崩され始めました。
 またまた、マンションが建つのです。すでに、頂上の右半分は失われ、かつて小綬鶏の親子が並んで歩く姿を、ホームから見ることの出来た山裾の藪が危なくなりました。
 もっとも、「ちょっと来い、ちょっと来い」と鳴く、この野鳥も、いなくなって5年になりましょうか。でも、山桜のピンクや篠竹の青さが、季節季節に通勤客の目を和ませてくれる山懐なんです。それは、どうなるのでしょうか。
 小動物たちは、どんどん、どこかへ消えて行きます。この春も、駅で電車を待つ人々に美声を聞かせてくれていた鴬も、藪を失っては、来年は来てくれようもないでしょう。
 私も、そろそろ庵をたたんで、どこかへ消える時かもしれません。それにしても、住民に何のアセスメントもしない開発とは乱暴すぎます。区や市や県は、みんなおかしい。貴方様のような、慈しみの心を持つ方が、ほんとうに減ってしまったんでしょうね。寂しい。

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