歴史の伝承(中)2006年06月13日 08:21

 日本海海戦の大捷が決め手になった日露戦争の大勝利は、極東の新興国日本を世界の列強に仲間入りさせた。国民が、東郷平八郎を神格化したのも、当時としては無理もない。
 しかし東郷の神格化は、海軍に「精神主義」と「大艦巨砲主義」、そして「精鋭主義」への偏りを遺産として伝え、その墨守が30余年後の太平洋戦争に向けての実力過信と、航空機動力への近代化の遅れを生んだ。100発100中の砲1門では、100発1中の砲100門には及び難かったのだ。
 軍隊、とりわけ海軍は、科学的合理主義が基本だ。量を確保された先端的兵器、それらをこなす兵員の練度、そして不屈の敢闘精神によって支えられる。本来、戦力は極めて高くつく。
 東郷の連合艦隊が旗艦とした英国製の戦艦「三笠」は、当時の世界で最新最大、かつ最強の火力を誇り、最新の無電設備まで備えていた。また、竣工・回航後たった2年足らずで黄海の海戦に加わって戦果を挙げるほどの、全乗員の練度と高い士気を養っていた。さらに、連合艦隊の主力艦はほとんど全て英仏伊などで造った新造艦であり、小回りの利く水雷艇などを含めれば、ロシア艦隊の戦力を上回っていた。
 その後、米英主導の海軍軍縮の流れもあって、「精神主義」「精鋭主義」に強く傾いたが、日本海での圧倒的勝利によって、勝利の方程式の正確な分析が鈍ったかもしれない。
 それはそれとして、今日なお続くロシアの南下志向に対抗し、近代的国民国家に衣替えして僅か40年足らずの日本が、国の総力を傾けて闘い民族の危機を救った厳然たる歴史的事実は、子々孫々に語り伝えて行くべき大事である。
 海上自衛隊が、体験試乗を敗戦まで「海軍記念日」と呼ばれた5月27日に選んだのも、日本海海戦の日付が念頭にあったからだろう。
 それなら、遠慮することなく、5月27日の由来に、一言でもいいから触れて欲しかった。試乗会に参加した市民の何割が、この日の意味に気付いていただろうか。驚いたのは、同行の同い年の紳士が、この日付を失念していたことだった。それならと、帰投後、私は彼を「三笠」に誘った。(;)