商売と良心(4)2006年06月20日 08:09

 こう見てくると、商売上の「小悪」は、個人商店より大・中資本の大型店に起きやすいことが、組織の性格から明らかだ。となると、流通業の大資本化が進む中で、消費者の心を傷つける商売の「小悪」は、「ザラらにある日常のこと」と受容されても無理はない。
 しかし、前回触れたように、いかな大資本といえども、消費者をないがしろにした「小悪」を重ねて行けば、必ずや遠からず痛烈なしっぺ返しを受けて破綻を招く。
 「この程度なら、客は咎めまい」と高を括るのは、そもそも相手の立場を誠実に考えない自己本位が生む瞞着である。と同時に傲りの表れである。そして、瞞着は不信を呼んで商売を破壊し、商売人の傲り高ぶりの先には、顧客の離反という大きな落とし穴が待っている。
 そんな陥穽に落ち込まないためにも、まず経営者が口先だけでなく、「顧客本位」の実践を貫くことが何より大事だ。商売の「小悪」の多くが、上からの指示や暗示で実行されている現実から言って、まず経営トップは自分の指揮下にある幹部に対して、個人としての良心に悖るような営業活動を決してしないよう、徹底して指導することだ。それが、企業を守る要諦である。
 どんな事業でも、商行為を具体的に進めるのは、企業という法人の中の「個人」である。従って、個人としての幹部や社員の「良心の放棄」が、企業に大きな損害をもたらすことに、それこそ気を配らねばならぬ。
 そして、「良心の放棄」によって、たまゆらの利益を得て密かに快哉を叫び、それをなした者を「やり手」などと賞賛する企業は、やがて組織と人材をボロボロに腐食させ、崩壊する運命にあることを自覚すべきだ。
 無論、経営陣に良心の欠けた者が君臨していれば、どんな大資本だって、決して長くは保たない。企業社会だのビジネス時代だのと、企業の役割が重視される時世だが、経営者の評価基準が、事業の成長度に傾き過ぎる。事業の社会的使命への誠実さや倫理性に、より重きを置いた評価をすべきであろう。(;)