軍神の遺影(9)2006年07月13日 08:06

 1本の映画から長話になった。寄せられたコメントやメイルを読んで痛感するのは、今や、かなりの年齢の日本人ですら、「戦争」についての正確な知識の涵養や、なぜ起きたかの歴史的な観照から、ひどく遠ざかっている現実だ。日本人は、戦争の真実を語り伝えていないと、改めて思う。
 戦争に負けた日本国民は、勝者とその追従者によって、戦争についての真実の伝承を断ち切られた。そして、「戦争の悲惨さ」と「内外の人民に及んだ被害」にのみ光を当てて戦争を学ぶようになった。
 戦争を招いた根本の原因や、戦わざるをえなかった大状況、戦争の果実についての評価と、「敗者の主張」を封じられ、タブー扱いにされてきた。この60年の災禍は甚大である。
 では、もう戦争と無縁なのか。──国民の目に直接は見えず、現実として認識している日本人は少ないが、中国人民軍は、100基を超す弾道ミサイルを、今この瞬間も"臨戦"の態勢で備えている。いずれも、平和を国是とす日本を射程におさめ、一部は核弾頭の搭載も可能だ。脅威という意味では、北朝鮮の弾道ミサイル「ノドン」の比ではない。事情を知るほどに、危機感は募る。
 それなのに、政治家も、防衛の実務家も、知識人も、知識人が多く拠るメディアも、国民に明確な現状と、対応の方策を明示したがらない。民主主義の基底に横たわる大衆迎合主義が故に、身を擲って国民に真実を訴え、民族の死活へ対処を迫る「不人気」を敢えてする勇気がない。
 かつて、日本が大陸で戦を始めた昭和6(1931)年の柳条湖事件当時、日本の政治指導部も国民の大多数も、大陸を侵し日本の勢力を拡げることが、民族に残された活路と確信していた。
 それは、インド亞大陸や豪州を大英帝国が支配し、ジャワをオランダが、交趾(コーチ)支那をフランスが、米国がフィリピンを押さえ、富を吸い上げていた帝国主義の植民地争奪の世界では、是非もない確信だった。
 これが、「軍神」を生んだ民族の生存環境である。戦争の責任は、敗れたがために、勝者によって一方的に裁かれ、処刑された戦犯たちにのみ帰せらるべきではない。(;)