ラシッドの碑(上)2006年07月20日 08:00

 大英博物館で展示されている古代文化遺産の中で、かつてアテネのパルテノン神殿を飾っていた大理石の破風や彫像群、いわゆるエルギン・マーブルズ(Elgin Marbles)などと並んで、ひときわ入館者の好奇の視線を集めているのが「ロゼッタ・ストーン=Rosetta Stone」である。
 頭部などが欠け、鶴嘴か銃弾の痕らしき孔も残るが、高さ114×幅72×厚さ28cm、重さ762kgの黒い花崗岩の表には、3種類の古代文字がびっしりと刻まれ、縮尺された複製が土産物にまでなっている展示品の目玉だ。フランス人やエジプト人、ギリシャ人は、とりわけ感慨深げに見入る。
 世界史の授業で習った方も多かろう。──3種類の文字は、古代エジプトで知識や学問を独占していた神官が使っていた「ヒエログリフ=神聖文字」、平民が用いた「デモティック=民衆文字」、そして当時の地中海で国際語として広く使われた「古代ギリシャ文字」である。もっとも、発見された時は、かろうじて古代ギリシャ文字だけが、それらしいと解っただけだった。
 Rosetta Stoneは英語による表記で、フランス語ではPierre de Rosette(ピエール・ド・ロゼット=ロゼットの石)と呼ぶ。ロゼット、ロゼッタは西欧人が勝手に付けた地名で、現地では「ラシッド」と称するナイル河口の港町の名だ。1799年8月、石碑は2000余年の地中の眠りから呼び覚まされ、歴史の舞台に再登場した。掘り出したのは、陣地を築いていたナポレオン遠征軍のピエール・フランソワ・ブシャール(Pierre François Bouchard)大尉とされている。
 1789年からの市民革命以来、フランスは革命の伝染を恐れる欧州諸国から包囲されていた。混乱の中で台頭したナポレオンは、英国の地中海制覇とインドへの近道を断つ狙いで、5万4千の兵を率いてエジプトに遠征する。スエズ運河はまだない。
 大義名分は、中近東を支配していたオスマントルコからの民衆解放だったが、98年7月3日、アブキール(Abu Qir)に上陸、隣接の古都アレキサンドリアを占領、地元軍を撃滅し、スフィンクスの鼻を砲撃するなど、暴れ回った。(;)