ラシッドの碑(下)2006年07月24日 08:00

 おそらく世界の教科書のほとんどが、「ロゼッタ・ストーン」と書いているであろう有名な石碑を、「ラシッドの碑」と竹庵は書いた。ヘソ曲がりなジジイだと思われる方も多いだろう。
 だが、考えてもご覧じろ。イギリス人やフランス人が勝手に付けた地名で呼ぶことが許されるなら、今も現地の人々が使っている地名で呼んでもおかしくはないだろう。
 それにしても、「ロゼッタ」の名の起源は何語だろう。遠い昔に、ギリシャ人か、フェニキア人、ローマ人、あるいは十字軍のキリスト教徒が、勝手に名付けた地名が起こりなのか。
 勝手に地名を付けるのも、人跡未踏の地ならご愛嬌だ。エーゲ海や南太平洋をはじめ、多くの水域で海洋測量を重ね、海図作りで名高いフランス海軍のデュモン・デュルヴィル准将(Dumont d'Urville 1790~1842) は、1840年1月、オーストラリア対岸の、今日フランスの観測基地がある東経138度の南極大陸で発見した氷原に、愛妻アデリー(Adélie)の名を付けた。
 「アデリー・ペンギン」が、この地名に由来するのは微笑ましい。デュルヴィル准将はまた、エーゲ海キクラデス諸島のメロス(Melos)島で1820年に農民が発掘、オスマントルコの代官が没収していた大理石製の女神の半裸像に着目、フランス政府に報告して買い取らせた審美眼の持ち主でもあった。
 この半裸像は、フランス語で「Vénu de Milo」と名付けられ、今、パリのルーブル美術館の目玉の1つになっている「ミロのヴィーナス」だ。余談になるが、准将夫妻と子息は、1842年5月8日の日曜日、開通2年目のパリ~ヴェルサイユ鉄道で起きた列車火災で、3人とも焼死している。
 「ミロのヴィーナス」だって、「メロス、あるいはミロスの~」と呼ぶべきではないだろうか。近年、ギリシャ、エジプト、シリアなどで、19~20世紀の帝国主義時代に、これらの地から西欧諸国に持ち去られた世界遺産級の文化財の返還要求が頭をもたげている。大陸から種々持ち帰った日本も、無縁ではない。複製技術も進んだ今、ホンモノは、もともとあった所へ返すのが「文明」であろう。(;)