なぜスイスで(上)2006年07月27日 08:01

 アメリカで活躍したチャップリンが、なぜスイスで暮らしたのか、──「とんこう」さんのご質問は、彼の内面を知る上で非常に重要なテーマですので、若い方のご参考にもと、お答えします。
 彼の生涯(1889~1977年)には、さまざまな歴史的事件が嵐のように続きました。──生まれた年に、各国の社会主義政党や労働組織がマルクス主義を支柱とする国際左翼運動の機関「第2インタナショナル」を結成。1890年には米大陸の「フロンティアの消滅」。1906年「英労働党の創立」。1914~18年「第1次世界大戦」。1917年「ロシア革命」。1929~32年「世界大恐慌」。1936~39年「スペイン内戦」。1939~45年「第2次世界大戦」。1948年「ベルリン封鎖・東西冷戦の到来」。1950~54年「マッカーシー旋風」。1965~75年「ヴェトナム戦争」……。
 これらの出来事の根底に流れていたのは、「資本主義と社会(共産)主義の対決」「帝国主義・独裁と、自由・民主主義の抗争」であり、平たく言えば、「富める者と、貧しき者のせめぎ合い」でした。チャプリンは、極貧のうちに育った境遇もあり、こうした歴史環境の中での生涯を通じ、「貧しき者」の目で見つめ、「貧しき者」への共感を貫いたと言ってよいでしょう。弱い者の理解者でした。
 この性向は、初期の無声映画の中で、根は善良だが生きるために盗みや無銭飲食などの小悪は自制できない小男の浮浪者と、これを容赦なく取り締まったり懲らしめたりする大男の警官や経営者で類型化したことに表れていますが、第1次世界大戦を経て資本主義が行きづまり、大恐慌によって失業者があふれて労働争議が激化する中で、次第に過激になって行きます。
 1917年の『移民=The Immigrant』、1918年の『担え銃=Shoulder Arms』、『犬の生活=A Dog's Life』、1921年の『キッド=The Kid』を経て、その典型は1936年の『モダン・タイムス=Modern Times』でした。
 しかし、機械を駆使した大量生産によって、世界一の産業国の座を確立した米国の資本家や指導的政治家たちは、彼を「容共分子」として敵視し始めていたのです。(;)