判決への疑問2006年08月01日 08:04

 裁判も人間の手によるものだ。万人がうなずける判決ばかりを期待出来ないのは是非もない。そこは、三審制度で補うわけだが、7月26日に千葉地裁で下された、市営動物公園での幼児の事故死に対する損害賠償・慰謝料請求訴訟の判決には、腑に落ちないものを感じさせられた。
 各紙の報道によると、昨年4月、千葉市営の動物公園で、当時1歳の男児が背もたれのないベンチから仰向けにツツジの植え込みに倒れ込み、枯れ枝が後頭部に突き刺さって、約1カ月後に脳挫傷で死亡した。痛ましい事故である。
 両親は「ベンチに、転倒を防ぐ背もたれがなく、サークル状のベンチの内側には、体に突き刺さる危険がある枯れ枝が密生していた」などと主張し、市に5,160万円の賠償を求めて訴えた。事故直後の、市側の対応に不満もあったようだ。
 訴えられた市側は、「転倒の危険は、保護者が常に付き添うなどして防ぐべきで、園内から枯れ枝を全て除くことは不可能」などと反論していた。
 これに対し長谷川誠裁判長は、「動物園は、来園者の多くが子供連れで、幼児の安全確保が求められている。植え込みの枯れ枝は、硬さや鋭さから、転倒した者が傷害を負うことを予見すべきだった」などと、市側の管理責任を指摘。他方、ベンチから数メートル離れていた男児の母親(37)も監護義務を怠ったとして賠償額を減額し、市側に約1,200万円の支払いを命じた。
 幼児がヨチヨチ歩きを始めるのは、生後10ヵ月から15ヵ月とされる。頭が大きく重心が高い幼児期には、たとえ座れても、特に仰向けに倒れ易い。母親の不注意は、もっと厳しく評価すべきではなかったか。各紙の見解を知りたいが、裁判については、毎度ながらの遠巻きな"客観報道"だ。
 権利意識の高揚に乗って、公共施設での事故の管理責任を公共機関に問う求償訴訟が増えている。だが、市側に「枯れ枝でケガをするのは予見できた」と指摘するなら、利用者にも同じことが言えないか。判決がこのまま確定すれば、市は税金で賠償金を払うことになる。その点は、どうなのか。(;)

女性が解る本2006年08月02日 08:01

 最近読んだ本で、姫野 友美著 『女はなぜ突然怒りだすのか?』=角川書店・2006年3月初版、6月4版=は、実に面白く、勉強になった。医師の著書にしては、文章も滑らかでユーモアもたっぷりだ。
 人生も終幕に入り、「女性」についてもさまざまな知見を重ねて来たつもりだが、いまだに不可解な部分が多い。男にとっては、「女性」より先順位で知りたいことが多く、「所詮、女は解らぬ」と、その場しのぎで投げだしてきた報いでもあろう。
 しかし、女性たちの思考法や行動が理解できずに、深刻に悩んでいる同憂の友は多い。そして男たちの大半が、不可解の核心に、まず「産む性」の肉体があると考える。
 ところが著者は、男女の決定的な違いが、「脳」の解剖学的な構造差に発していると指摘する。心療内科の開業医ならでのアプローチだ。
 著者によれば、女性の脳は、感情の連絡回路ともいうべき間脳の「前交連」と呼ぶ部位や、左右の脳をつなぐ連絡橋に当たる「脳梁」という部分が、男性のものに比べ際だって太い。このため、好き嫌い、快不快、怒りや恐怖などの感情や言語系の情報を、脳内で一気に伝えやすく、これが女性を「感情的」にしたり「お喋り」にしたりするというのである。
 著者はまた、こうした脳の構造上の違いのほかにも、男性の理解を苦しめる基に、各種のホルモンの働きがあり、これには「産む性」の肉体的な特性と、生理の周期性が密接に関係すると説く。読み進むうちに、男性とのあまりの違いに驚きが深まるとともに、長年の謎が次々に解けて行く。
 女はなぜわがままなのか、なぜダイエットに励むのか、なぜブランドものを欲しがるのか、なぜメニュー選びに時間がかかるのか、なぜトイレや給湯室で長々と密談するのか、……。
 こうした、男には理解も同調も容易にできない心理や行動について、読む者を次第に得心に導く。女性の著者が、妙に気張った女権論などに踏み込まず、科学の目で淡々と「女性」を裸にして見せた点、秀逸だ。(;)

実は「風不考計」2006年08月03日 08:10

 朝日新聞に、「風考計」と題する定期コラムがある。同紙の若宮啓文論説主幹が、原則として毎月の最終月曜日の朝刊に、カット写真を含め5段分ほどのスペースを独り占めして、勝手気ままなことを書いている。
 その言説は、時に社員やOBをさえ、唖然とさせる。今週は例の「昭和天皇発言メモ」を扱って、政局へ向けての虚しい遠吠えだ。諸般の情勢も、時代もそっちのけである。透けて見えるのは、すでに淘汰された全学連的ML主義の原理論だ。
 ひどい脱線ぶりを見せたのは、2005年3月27日の分。韓国が兵員を配備して無体な実効支配を続け、日本と領有権を争っている「竹島」を、両国の平和のために先方に譲ってしまったらと提案して、多くの読者の驚愕と憤激を買った。
 当然、購読停止が相次ぐ。週刊誌などの好餌ともなって広く伝えられ、多数の日本人から朝日新聞全体が批判される結果となった。それでもやめないから、経営者にも批判の矢が飛ぶ。
 新聞社は、経済原則を超脱した「公器」でも、ひたすら利潤を追求する「私企業」でもない。その中間の事業体として、綱渡りのように絶妙なバランスを取りながら経営される「極めて公器性の強い私企業」にほかならない。そのような、基本的な新聞の実像に、この新聞人はまるで無頓着だ。
 その無頓着さは、生涯頭を下げずとも生きられる記者畑しか知らずに、大手新聞社で出世してきた経歴から生まれているはずだ。国際紛争にさえ、こんな能天気で、浮世離れした打開策を提示する「単純さ」も、経歴の然らしむところだろう。時代の風を考える計器になどなっていない。
 当たり前のことだが、新聞社員の意見も百人百様である。「社論」だの「社説」だの言っても、論説、編集、工務、販売、広告などの全部門が、一つの「説」で固まっていることなどあり得ない。
 それなのに、社員の信認手続きもなしに「論説委員」とか「論説主幹」とか、まるで新聞社内の意見を代表しているかのように自認し、ものを言ったり行動したりする。おかしな話だ。新聞を私しているようなものである。
 新聞人も看板や肩書を捨て、一個の人間として議論すべき時代が来ている。「社説」の掲載は、社運を賭して世に訴える場合に限り、常は署名論文として、論説記者個々の評価を、読者に仰ぐ方がいい。(;)

産経の「イザ」2006年08月04日 08:06

 新聞の元気が、年々衰えるばかりだ。大新聞ほど、自己変革にもたつき、意気が上がらない。
 若年層が日常の情報を新聞に頼らなくなって久しい。この傾向が、止まらない。若者が中年になり、新聞を離れる人口はますます増えている。今や社会の多数派は、もっぱらテレビの映像、インターネット、そして携帯電話のサービスでニュースを手に入れる。若い層が「文字離れ」を起こしているのでは、決してない。彼らは、30年前の若者とそう変わらぬほど、大量の文字とつき合っている。だがそれは、液晶上の電子文字であって、紙に印刷された文字は疎外されている。
 なぜか。──ひと時も止まらず変転している事象ついての報告である「ニュース」を、1日1~2回発信するだけの新聞では、現代人は満足できない。即時性、臨場性にかけては、もはや新聞は、放送、テレビ、インターネットに太刀打ちできない。新聞より、好きな時に取りに行けば、最新情報が得られるメディアが評価される。新聞が捨て切れない「押し付けがましさ」も嫌われる。
 特にインターネットには、ちぎっては投げるようなフラッシュ・ニュースばかりでなく、大方の事象について、その方面の専門家が無償で提供している情報があふれている。新聞にも専門記者はいるが、その知識は専門家にはかなわない。事象が複雑化し、一線記者や編集記者に、往時よりはるかに多角的な知識・教養が要求されるが、記者の質の確保は難しくなっている。先日の流水式プールでの事故でも、「吸水口」を「排水口」と誤って、修正にまる1日を要した新聞があった。
 新聞は、どうしたら情報メディアとして評価されるか、換骨奪胎を迫られている。インターネットとの相互乗り入れが緊急課題だ。その点、産経グループの挑戦は注目に値する。
 記者との対話を打ち出した「イザ」=http://www.iza.ne.jp/や、パソコンのディスプレイで紙面を読めて、切り抜きもできる「NetView」=http://www.sankei.co.jp/netview/に、そのなヒントがあるだろう。もっとも、こうした相互乗り入れで満足な収益を確保する仕組みは、これからの大きな課題ではあろうが。(;)

新聞の衰微(1)2006年08月07日 08:01

 衰退は、繁栄の頂点から始まる。盛運が頂点に到るまで、人も組織も驕慢を諫め、刷新に励むのだが、頂点を意識した時から、これが止む。昨日と、先週と、先月と、去年と、同じことをしていれば済むと、革新の積極さを投げ出し始めた時、衰退が始まる。
 大新聞の衰弱ぶりには、このような「繁栄と衰退の定理」が、そのまま当てはまるように思える。昨日と今日は違い、先週と今週は違うのだから、同じことを踏襲していたのでは、1年経てば大きく違って、その分、軌道修正は難しくなる。断っておくが、不断の変革と苦し紛れの改変は違う。
 1950年代末に、若者の「活字離れ」が言われ始めたが、それはパソコンが存在感を定着させる20年も前であった。情報の電子化以前に、すでに若者が新聞や書籍を離れ始めていた。
 彼らを吸収したのは劇画・漫画の世界だ。1960年代に入ると大手出版社も加わった漫画ブームが起きる。新聞は、バカにして採用の道を探ろうともしなかった。日本の新聞でストーリーを追う「コマ漫画」の連載を初めて登場させたのは、1920年代初頭の朝日新聞東京本社版だった。
 だが、戦後の繁栄期を迎えていた1960年代の同じ新聞社は、紙面改革の目玉として、「例えば、吉川英治の『宮本武蔵』とか、漱石の『坊ちゃん』といった名作の、上品な劇画を10段紙面にして連載しては」という、一編集記者の提案を、上司の「バカヤロウ」の一声で潰している。
 1980年代初め、電算編集が軌道に乗って、初めて文字の大型化を計画した時も同じだった。1行15字を、「姑息な14字でなく思い切って13字で」という案は、「情報減が過大」と退けられた。13字案の裏には、「15→12字は情報減で非現実的。14字だと、競争社は13字で対抗するだろう。先に13字にして二重投資を避けるべし」という戦略があったが、保守派は情報量に拘った。情報量は、必ずしも文字の数ではない。
 結局14字で打って出たが、果たせるかな競争社は13字で迎え撃ち、対抗上13字へさらに2度の対応を強いられた。そのつど数十億円の出費が、戻ることのない社史の遺失物になった。そして今は、横並びの1段11字である。(;)