産経の「イザ」2006年08月04日 08:06

 新聞の元気が、年々衰えるばかりだ。大新聞ほど、自己変革にもたつき、意気が上がらない。
 若年層が日常の情報を新聞に頼らなくなって久しい。この傾向が、止まらない。若者が中年になり、新聞を離れる人口はますます増えている。今や社会の多数派は、もっぱらテレビの映像、インターネット、そして携帯電話のサービスでニュースを手に入れる。若い層が「文字離れ」を起こしているのでは、決してない。彼らは、30年前の若者とそう変わらぬほど、大量の文字とつき合っている。だがそれは、液晶上の電子文字であって、紙に印刷された文字は疎外されている。
 なぜか。──ひと時も止まらず変転している事象ついての報告である「ニュース」を、1日1~2回発信するだけの新聞では、現代人は満足できない。即時性、臨場性にかけては、もはや新聞は、放送、テレビ、インターネットに太刀打ちできない。新聞より、好きな時に取りに行けば、最新情報が得られるメディアが評価される。新聞が捨て切れない「押し付けがましさ」も嫌われる。
 特にインターネットには、ちぎっては投げるようなフラッシュ・ニュースばかりでなく、大方の事象について、その方面の専門家が無償で提供している情報があふれている。新聞にも専門記者はいるが、その知識は専門家にはかなわない。事象が複雑化し、一線記者や編集記者に、往時よりはるかに多角的な知識・教養が要求されるが、記者の質の確保は難しくなっている。先日の流水式プールでの事故でも、「吸水口」を「排水口」と誤って、修正にまる1日を要した新聞があった。
 新聞は、どうしたら情報メディアとして評価されるか、換骨奪胎を迫られている。インターネットとの相互乗り入れが緊急課題だ。その点、産経グループの挑戦は注目に値する。
 記者との対話を打ち出した「イザ」=http://www.iza.ne.jp/や、パソコンのディスプレイで紙面を読めて、切り抜きもできる「NetView」=http://www.sankei.co.jp/netview/に、そのなヒントがあるだろう。もっとも、こうした相互乗り入れで満足な収益を確保する仕組みは、これからの大きな課題ではあろうが。(;)