新聞の衰微(6)2006年08月14日 08:06

 もうかれこれ15年を越すが、バブルの崩潰は、大新聞に決定的な打撃を与えた。その痛手は、今もなお癒えてはいない。バブル期に大きな散財をした新聞社ほど、後に長く苦しんでいる。
 戦後の経済変動の中で、「鍋底景気」や「オイル・ショック」などの不況を乗り越えてきた新聞ではあった。人々が不安な、不況期には強かった。しかしこの間、各社が販売部数を指標とした市場占有率の拡大競争をやみくもに進めた結果、昨今のビール業界のように、売上げ高は増えるものの、販売経費ばかりが嵩んで利益率は急激に落ち込んでいった。
 こうなると、頼りにされるのが、新聞社の収益のもう一つの柱、広告収入である。実は、部数の拡大は、結果として広告料金の引き上げに根拠を与える。一般に、広告に依存するタイプの業界ほど、より多くの購読者を持つ新聞を、広告メディアとして高く評価する。
 だから経営者は、販売部門の稼ぎに頼れなくなっても、部数さえ減らさなければ、広告部門が売上げを伸ばして、全体の収支を保てると考えた。そして、部数増が頭打ちになってからは、広告料金を「小幅しばしば」に引き上げて収入を支えた。すでに危険な道に踏み込んでいたのだ。
 このようなやり方は、所詮その場しのぎを恒常化した「弥縫策」であった。消費経済が拡大基調にある好況期には、広告需要も堅調で、広告主企業も料金値上げに応ずる余裕があったが、バブルの崩潰が、この構図を木っ端みじんに砕いた。
 驚愕的な広告収入の落ち込みで、すでに膨れに膨れていた人員・組織・給与・経費・投資などに大ナタを振るわざるを得なかった。紙面の衰微も、その結果だ。残るは、部数競争の"残留孤児"である水増し部数だが、この清算こそは死活の問題であり、新聞の衰退を決定づけかねない。
 入社から定年まで同じ部門しか知らず、部門の命題にのみ忠実な社員ばかりを育て、経営のジェネラリストの育成を怠った大新聞の弱点に、バブルの崩潰が悔恨の痛打を見舞った。(;)