新聞の衰微(13)2006年08月23日 08:01

 A紙は、時計業界が提案した「公開実験」に、堂々と応ずべきだった。紛争が科学的な事象をめぐるもので、その科学的な証明が一つの業界の利害に深く関わっていただけに、「それには及ばぬ」と、背を向けてしまったことは、A紙の敗北を意味した。科学部長らは、敗北が怖くて逃亡したと思われても仕方なかった。私は、同じA社員として、恥ずかしかった。
 Sらの不誠実さを取り繕って、ひたすら頭を下げる私に、業界の面々は「あれでは仕方ありませんな」と、軽蔑の笑みで応えた。結果は、広告出稿の見合わせで還ってきた。その上、時計業界に大勢のA紙嫌いが生まれ、購読を断ったり、シンパとしての情報提供を絶ったりした。
 「取材源の秘匿」という問題が、あるにはあった。しかし、「公開実験」に応ずることで、取材の確かさを証明することも出来たではないか。それに、この種の記事が、一つの業界の業績を左右しかねないことは、記者も編集者も心に留めておくべきだろう。そもそも、商品の"欠陥"を衝くからには、業界側も指摘したように、広報・宣伝部門への、正門からの取材は必須だった。
 社内機構にも問題があった。こうした複数の部門が関わる対外トラブルを、新聞社として適切に処理する機関がなかった。編集局に属する「記事審査部」も、広告局所属の「広告審査部」同様、新聞社の名声を守り、読者の利益を守るための機関なのだが、人事権はそれぞれの局が握っているため、局益が先行して新聞社全体の利益を求めるようには機能しなかった。
 それぞれの部が部益を、局が局益を優先し、社益につながらない事例の好見本と言えた。このような管理機能は、本来、現局から離して社長直属の組織に託しておくべきだ。新聞社内の組織の独善と保身によって、読者・広告主という顧客を怒らせてしまった例を、私は数多く見てきた。
 新聞も、本質的には商品であり、新聞業もビジネスだ。社内セクトが、顧客である読者や広告主を怒らせる理不尽を重ねていれば、新聞本体がジワジワと衰えて行くことは避けられない。(;)=この項終わり