大新聞の落胆2006年08月24日 08:04

 この夏、大新聞は、例年に増して「先の大戦」の戦争責任の追及と、首相の靖国神社参拝反対のキャンペーンに熱を入れた。9月に迫った自民党総裁選の形勢が、民族主義と国益重視を基調とした国家観・外交観を抱く、安倍晋三官房長官の圧倒的有利に向かっていることに対する、明らかに政局にらみの牽制であった。
 それにしても各紙の論調が、まるで申し合わせたように同質だったのは不思議だ。つまり、極東裁判で処刑されたA級戦犯を合祀している靖国神社への参拝を、小泉首相が固執することで、中国・韓国・北朝鮮などの近隣諸国と日本の外交関係が停滞しているとの認識に立ち、次の首相は、その轍を踏むべきではないと訴えた。だが、中韓との実際の国交停滞は、首脳交流だけだ。北朝鮮は別だが、経済や行政の現場は、連携が保たれている。
 大新聞の熱心なキャンペーンを尻目に、小泉首相は信念と公約に基づいて、8月15日の靖国参拝を、淡々と実行した。大新聞の編集幹部は、「新聞の無力」を痛感しただろう。だが、彼らをもっと落胆させたのは、ほかでもない近隣諸国の反応だったはずだ。
 中国政府は、8月15日の小泉靖国参拝に関しての報道を管制し、インターネットの情報流通にも介入したばかりか、中国各地の日本公館などへのデモも抑制してしまった。韓国の盧武鉉大統領も、8月15日の「光復節」の演説の中ですら、この件についての具体的な言及をしなかった。
 近隣諸国の反響を伝えた大新聞の記事が、極めて小さな扱いだったのは、編集幹部の落胆の深さを示すものだろう。北朝鮮がどんな反応だったのかは、記事を見つけ損なった。首相の靖国参拝後も、近隣諸国で日本製品のボイコットや、経済関係の断絶を懸念すべき動きはない。
 ならば、大新聞の情勢分析は、何に基づいていたのか。8月15日、靖国には去年を5万3千人上回る25万8千人が参拝(神社公表)し、特に若者の姿が目立った。だが、この変化を報じた記事も見なかった。大新聞の姿勢は、明らかにネット時代の現実からも遠く遊離してしまっている。(;)