新聞の史観(2)2006年08月28日 11:03

 "読売戦犯法廷"に代表される大新聞の戦争責任追及には、前回挙げた「歴史を扱う綿密さ・慎重さ」が欠けているとともに、いくつかの特徴的な欠陥がある。第2の欠陥として指摘したいのは、歴史を語る際に不可欠な「因果関係追求の周到さ」の欠落である。
 どんな戦争にも、国家が戦争に突入するだけの、長期にわたって醸成された「要因」がある。ところが、"読売法廷"をはじめ、大新聞の戦争責任追及は、判を押したように、先の大戦の要因に「日本帝国の植民地化政策」を挙げ、これを諸悪の根源と設定するのが常だ。
 しかし、「帝国の植民地化政策」は、日本だけのものではない。19世紀以降20世紀初頭の世界は、列強がこぞって帝国主義の下で植民地獲得を競った時代だ。日本帝国は後発が故に、この競争に敗れた。しかし日本の決起が、欧米列強の植民地に独立の契機を与えたのは事実だ。
 また大新聞の歴史展望は、"読売法廷"で明らかなように、戦争の因果関係究明の期間を「満州事変」以後に切断して圧縮し、その発端の事由を「関東軍参謀らの陰謀」と決めつける。そして、これらの軍人たちが、日米を代表とした東西両文明の世界最終戦争を予測し、支那を日本の根拠地とする構想を抱いていたと、短絡的に断定する。
 だが、これは極めて皮相な分析と言わざるを得ない。そもそも何を根拠に、関東軍が外地である旅順に師団司令部を構えていたのか、その任務は何であったか、当時の中国がどのような社会・政治・経済・軍事の情勢にあったか。これに対し、帝国主義列強による「門戸開放」「市場開放」を旗印とした植民地化政策の手が、中国大陸にどのように伸びていたのか、……。
 過去の国家権力とその執行者を裁くのなら、数ページ前に遡った歴史の分析が欠かせない。つまり先の大戦を裁くにも、帝国主義列強に併呑されずに生き残るため、日清・日露の両戦争を敢えてし、十数万の将兵の血で築いた大日本帝国の形成過程から論述するのが至当ではないか。(;)