新聞の史観(25)2006年09月28日 08:02

 日本をも韓国や中国の侵略に駆り立てた帝国主義の時代では、強国同士が弱小国の侵略に力を合わせさえした。日露講和交渉にアメリカに渡った小村寿太郎全権大使は、セオドア・ローズヴェルト大統領から、日本が韓国を保護国にすることへの「了解」を取り付けている。
 ローズヴェルトは、日本にとっての日露戦争が、ロシアの満州・朝鮮半島への領土的野心を阻むための日本の「外縁防衛」の闘いであったことを理解していた。そして、当時の韓国の脆弱な当事者能力からして、日本が韓国を保護国とすることを当然視したのだ。同様にイギリスも、日露戦争の日本勝利を確認してから行われた1905(明治38)年8月の「日英同盟条約」の改定交渉の際、日本が朝鮮に対し「指導、監理及ビ保護ノ措置ヲ執ル権利」を認めた。
 戦に敗れたロシアもまた当然これを認め、日露講和(ポーツマス)条約で、領土割譲などの条項に先立つ第2条に、「露西亞帝國政府ハ日本國カ韓國ニ於テ政事上、軍事上及經濟上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルコトヲ承認シ日本帝國政府カ韓國ニ於テ必要ト認ムル指導、保護及監理ノ措置ヲ執ルニ方リ之ヲ阻礙シ又ハ之ニ干渉セザルコトヲ約ス」と、明文化することに同意したのであった。
 つまり、当時の欧米列強が日本に対して、後の「併合」に至る韓国の属国化・植民地化の"お墨付き"を与えたのである。帝国主義時代とは、自らを律し、防衛する力を持たない国家・民族を、一方で獲り、他方で譲る手法で、強国が食いちぎる世界だったのだ。
 因みに、ポーツマス条約の第9条には、「露西亞帝國政府ハ薩哈嗹島南部及其ノ附近ニ於ケル一切ノ島嶼並該地方ニ於ケル一切ノ公共營造物及財産ヲ完全ナル主權ト共ニ永遠日本帝國政府ニ讓與ス其ノ讓與地域ノ北方境界ハ北緯五十度ト定ム(以下略)」と定められ、薩哈嗹(サハリン)島の南半分と千島列島全域が、永遠に日本に譲渡される旨が明記された。これらの領土は、先の敗戦の結果、一方的に旧ソ連が占拠、今日なおロシアの「実効支配」が続いている。(;)