香ばしい恨み2006年12月04日 08:02

 年末だ。思い出すまま、昔のことを少し書く。──宇都宮で戦災に遭い、日光近くの農村に疎開していた小学5年のころだ。寄留先の農家に、ご隠居がいた。60歳を、出たか出ないか。姿かたちは脂ぎった壮年で、ひどく無口な男だった。
 見るもの聞くもの珍しい農村の暮らしである。無遠慮かつ執拗に、あれこれ訊くのだが、ただ「う」とか「にゃ」とだけ声を発するのがせきのやまだ。都会の人間が、嫌いだったに違いない。
 夏休みのころ、ご隠居は2日おきに、午後になると縁先で決まった作業をした。裏山から伐り出した太い孟宗竹を、まず50センチほどの間隔で筒状に切る。
 次に、鉈を使って、これを縦に割き、太さ1センチ足らずの棒を4、50本作った。次は、棒の片方の先を、ピカピカに研いだ切り出しで削いで尖らす。
 竹筒が全部、先のとがった竹棒に変わったところで、作業はひと区切り。ご隠居は、でき上がった竹棒を、束にして納屋に運んだ。出てくる時は、ひと月ほど前に作って寝かしておいた、黄ばんだ竹棒を20本ばかり抱えて来る。
 次の作業は、囲炉裏端だ。棒の頭4センチばかりの部分に浅い溝を何本か小刀で刻み、そこへ自家製の苧麻を撚って作った太い糸を巻き付け、しっかりと玉結びに縛る。長さ約50センチの糸の端には、1.2ミリほどの太さの、頑丈な釣り針が付いていた。
 薄暮のころ、ご隠居は釣り針のついた仕掛けを束に持って、近くを延々と流れる幅せいぜい3メートルの用水路に出掛けた。釣り針に一つ一つ念入りにミミズを通し、膝上まで流れにつかりながら、3メートルほどの間隔を置いて、竹棒を流れの底や岸の根方に深く刺していった。
 明くる朝、もやの残る時間に、ご隠居は仕掛けを引き揚げる。5本に1本くらい、鰻や鯰が糸に絡まっていた。
 ご隠居は、獲物を魚籠に入れて持ち帰り、丁寧に糸から外すと、串に縦に刺して囲炉裏の火の周りに立てた。その香ばしい匂いときたら、動物性タンパクに飢えていた少年の鼻腔に、長く長く記憶として留まった。
 ただ、一匹の鮒さえも、よそ者には「ご下賜」がなかった。(;)

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