越中ふんどし2006年12月07日 07:56

 中3の夏、昭和24年だった。家から3キロほどの海岸で、同級のMと弟の3人で泳いだ。8月も末、海は土用波でかなり荒れており、海の家もほとんどが店じまいして空き小屋になっていた。
 「赤ふん」は家で締めて来たし、ズボンと半袖の開襟シャツを脱げば、すぐ波打ち際に走れた。3人とも砂浜に着衣と下駄を脱ぎ、タオルや帰り用の下着をまとめて置くと、海へ突っ走った。
 夏休みも終わり近くの平日だけに、海水浴客はまばらで、日射しは厳しさを留めていたが、水から出て強い風に吹かれると、鳥肌立つほどの寒さを感じた。秋が、近くまで来ていた。
 そんなわけで、かえって水の中にいる方が心地よく、20分もしてから砂浜に上がり、タオルにくるまって、お袋が持たせてくれたふかし薯を食べながらひと休み。やがて、また海にもどった。
 こんどは、そう長く水の中にはいなかった、と記憶する。風で寒いので、早くタオルにくるまろうと、大急ぎで着衣を置いた場所へ戻る。と、タオルが消えている。風に飛ばされたかと、辺りを見回しても砂ばかりだ。
 飛ばされることも考え、3人分の着衣とタオルを重ね、その上に漬け物石ほどの石を乗せておいた。その石は、一つポツンと残っている。よく調べると、着衣も下着も下駄も、弟の分だけを残して、私とMの分は下駄さえない。
 「盗られたっ。やられたー」と叫んで、遠くに犯人を目で追ったが、それらしい人影もない。
 あきらめは早かった。弟を着替えさせ、家からMと2人の着替えを持って来るよう頼んで帰した。それにしても、弟の分だけ着衣・履き物一式を残したのは、泥棒の人情だったのだろう。
 Mは、母親が李朝の女官だったとかで、品のいい顔つきをした「お坊ちゃま」だった。この日も、われら兄弟の「赤ふん」に対し一人、紺のウールの水泳パンツを履いていた。
 1時間半ほどして、弟がシャツとズボン、越中ふんどしと下駄を、風呂敷に包んで持って来てくれた。越中を広げたMが訊ねた。「これ、どうやって履くの?」──確かにお坊ちゃまだった。(;)