ミッション(下)2006年12月25日 07:59

 私は、懸命に英語で訴えた。若い男が、ひどい出血で命が危ないこと、運ぼうにも車がないし、車を呼ぼうにも電話がないと窮状を話し、「どうか、男の命を救ってください」と頼んだ。
 運転席の男が、黙ったまま、後ろの座席に坐った白髪の紳士の顔を振り向いた。紳士は、短く「助けてやろう」と言った。そして、「君たち、乗って案内したまえ」と、私たちに促した。
 助かった、通じたと思った。何度も礼を言った、車は、あっという間に管理棟の前に着いた。
 私たちは、バンガローに走って行き、Mさんが作った担架に毛布を敷いて男を乗せ、車のところへ戻った。4人の白人は、車の外で立ち話をしていたが、白髪の紳士が、「怪我人には2人ついて行きなさい。1人は、怪我人の体を支えて後ろの座席に、もう1人は私と一緒に前の座席に乗って道案内だ。私の同僚2人は、車が戻るまで、ここで待つことにする」と言った。
 あれこれ言っている時間はなかった。後部座席に毛布を敷き、負傷者を横ざまに乗せて仲間の1人に上半身を支えさせ、英語が話せるD大のKさんに同道してもらった。そのころの私ときたら、くねくね道を乗用車に乗ると、決まってひどく車酔いしたからだ。
 管理棟に残った2人の外人も、車で山を下りた2人も背広姿だった。「外交官か?」と訊くと、答えなかった。残った2人は、ボブ、ジムとファーストネームで呼び合っていた。「管理人に報告する義務があるので、名前と身分を教えてほしい」と言うと、「ミッションの関係で言えない。ガイジンと言っておいてくれ」と、取り合わなかった。そうなると、とりつく島はなかった。
 ボブが持っていたロンソンのライターは、レバーを回すと炎が6~7センチも吹き出すのが珍しかった。強風の中でも火が点けられると、自慢げだった。後年、同じものを買って愛用した。
 午前零時を過ぎて、車は運転手とKさんを乗せて戻った。ボブとジムを拾ってとんぼ返りする車を、まだ起きていた十数人が拍手をして見送った。Kさんの報告では、怪我人を診た医師が、命は助かると言うと、白髪の紳士は、病院にハイヤーを呼んでもらって、独り東京へ帰ったという。(;)