混血の孤児(上)2007年01月23日 08:02

 東海道線大磯駅を海側に降りた正面右手に、松の巨木に覆われた、こんもりとした小山があった。今、聖ステパノ学園になっているところで、かつては小山をうがって、車が通れる幅の短いトンネルがあり、くぐり抜けると広大な屋敷になっていた。昭和25(1950)年ころのことだ。
 屋敷は、三菱財閥の創業者・岩崎彌太郎の長男・久彌が別邸として使ったものだ。戦後の「財閥解体」で、岩崎家に残された数少ない資産となり、久彌の長女で外交官・澤田廉三に嫁いだ澤田美喜《1901(明治34)~1980(昭和55)》が住んでいた。廉三は、戦後、加盟前の初代国連大使や、外務事務次官などを勤めた。
 先日、本棚の奥にあった古いアルバムをめくっていたら、数枚の写真に目が止まった。クリクリ坊主でニキビ面のYKがいる。彼は、大阪で教員を長く勤めた後、数年前、肝臓癌で亡くなった。その脇には、高校の制服制帽をきちっと着けてMSが写っている。敬虔なクリスチャンで、今もつき合いがあるが、この歳になるまで、他人と争うのを見たことがない。AKが、彼らしく詰め襟のボタンを2つばかり外して、画面に収まっている。中学だけで、家業に就いたYYもいる。
 みんなの周りには、5~10歳くらいの、外人っぽい子どもたちが群がって、腕にぶら下がったり、背中にしがみついたりしている。肌の黒い子も、白い子も。男の子も女の子も。──澤田美喜が、屋敷の一部を当てて「混血孤児」救済のために開いた「エリザベス・サンダース・ホーム」で、私が撮ったスナップ写真だ。さすがに黄ばんでいる。
 その数週前、私たちは冒険心に誘われて、守衛もいない件のトンネルを“突破”して屋敷内に入り込み、意外にも日本語を話す外人の子に囲まれて、鬼ごっこや隠れん坊の相手をしたのだった。施設の存在を知ったのは初めてで、その際、砂場の砂がひどく減っているのを覚えていた。この日は、鵠沼の海岸からYYが、(多分、無免許)運転するオート三輪で運んで来たのだった。(;)