社会部時代(8)2007年03月14日 08:03

 現場の様子から、風呂場のプロパンガスの不完全燃焼を引き金に、一酸化炭素中毒、そして火災につながったと見る私の推理を聞いても、エモちゃんはなかなか信じない。
 逆に、「それじゃぁ、頭を叩き割ったのは誰なんだ。一酸化炭素中毒だとしても、1人も這い出して来られないなんて、おかしいよ」と、他殺の線を強調する。確かに、遺体の頭や体の裂傷が、私のナゾ解きを妨げていた。ただ、加害者がよほど多くないと、これほど多くの被害者を同時には襲えない。
 そうこうするうちに、東京からヘリで乗り込んできた警視庁詰めの羽鳥和男キャップ (故人) をはじめ、社会部、通信部、写真部、連絡部、運輸部などから、ベテランの応援部隊が続々と到着し、前線本部として借り上げた富士吉田の登山者用の宿坊は、まるで集会所のような混雑になった。
 こうなると、立川支局から先陣を承って馳せ参じた2人も、ポット出の悲しさで、下座のさらに末席の扱いだ。先輩たちの使い走りや、断片的な情報取りに格下げとあいなった。
 黒こげの犠牲者は、山荘の持ち主である東京の金融会社の専務と、連れ立って来た新宿の飲み屋の女将、富士吉田のバー「リスボン」のママ、バーテン4人、当時は「女給」と呼ばれたホステス3人の合計10人と、警察が発表した。10人が全滅したのだ。
 東京からの2人は、11日火曜日の夜、富士吉田に来て、馴染みの「リスボン」を訪れて飲み、12日午前3時過ぎにバーのママと従業員7人を連れて、タクシーで「秋田山荘」に繰り込んだことが、タクシー運転手などの証言で明らかになった。
 しかし、それから以後、火事が起きた13日午前11時過ぎまでの約32時間の動静が、全くのナゾだった。シーズン・オフで、山荘一帯の人気が途絶えていたため、目撃証言が少なかった。
 常識的に考えれば、せっかく湖畔の山荘に来たのだから、翌12日には湖に繰り出すとか、山道を散歩するとかがあっていいはずなのだが、その種の情報は、とんとなかった。(;)