社会部時代(12)2007年03月20日 07:58

 真っ赤な血を流していた死体の裂傷や挫傷について訊かれた科警研氏は、驚いたことに、「あぁ、ああいうのはよくあるんです。消火が遅れて、すっかり焼け落ちるまで焼けると、建物の梁が落下したり、柱が倒れたりして、死体を損壊するんですよ」と、こともなげにいう。
 私は、胸の中で呻った。経験を積んだ専門家にはかなわない。でも、胸中でひそかにバンザイを叫んでいた。これで決定的なカギがそろったのだ。あとは遺体の血液の分析だ。血液を一酸化炭素同様に鮮紅色に変えてしまう青酸の反応が出ない限り、推論通りだ。
 その上、何者かによって現場から風呂釜が持ち去られていることも望見できた。重要な証拠品として、鑑識が持ち帰ったに違いなかった。私の仮説は、もはや確信に変わっていた。
 ところがこのあたりから、現場の前線本部と警察庁に頼る本社の間に、微妙な差が目立ち始めた。解剖と鑑識の作業が進むにつれ、捜査本部にも事故死説が強まり、事件・事故五分五分という構えに変わってきた。これにつられた形で、本社と現場派に、見通しの差が生まれた。
 朝日の前線本部の中でさえ、“警視庁派”が、事件、つまり大量殺人説に固執し、逆に、プロパンガスの不完全燃焼を引き金とする大量事故死説に傾いた地元支局などの“通信部派”とが、対立してしまった。
 ややこしい背景もあった。あとで分かったのだが、山梨県警は当初、警察庁に「毒殺・放火の可能性」と報告していた。このため、警察庁が「殺人・放火」の先入観にとらわれ、新聞各社の東京本社もまた、これに引きずられた。加えて、山梨県警の体面が、最初の報告に拘った。
 おまけに激しい報道合戦の中で、新聞社の中央は、警察庁の権威に信を置いて、「殺し」であることに“期待”を寄せるようなムードになっていった。──東京の社会部デスクからは、「殺しじゃないのか」「殺しの線はどうなんだ」と、しきりに「殺しの線」を催促してきた。(;)