社会部時代(28)2007年04月11日 08:08

 田代は、万事ぶっきらぼうだった。今日に比べれば極端に狭い紙面に、凝縮した記事を流し込む時代の新聞で育った体質かもしれない。そのころの記者に、よく見られたタイプだった。
 「いいか。スペインにはウチから誰も行っていないんだ。フランコに、もしものことでもあったら、お前さんが1面の本記から社会面の雑感まで一人で書くことになるんだ。いいな。それから、行きがけに東南アジアか中東を回ってもらう。オリンピックの準備状況取材だ。以上、終わりッ」と、ソッポを向いて席を立ってしまった。
 こうなっては詮方ない。すでに東京本社には「オリンピック対策本部」が店開きしていて、五輪報道合戦の前哨戦が、海外取材から始まっていた。私はオリンピック取材班に組み込まれていたのだ。それに、「フランコに、もしも」が激しく意欲を揺さぶった。
 スペインは、1939 (昭和14) 年に市民戦争が終わって以来、ヨーロッパの戦乱をよそに、当時もフランコ総統の下、4半世紀もの“独裁政権下の平和”を続けていた。
 しかし、バスク、カタロニア、アンダルシアなど、地方では反フランコ勢力が小規模の「テロ」を繰り返しており、まさしく「フランコに、もしも」は、十分あり得ることだった。
 私は丸善に走って、白水社から出たばかりの「シートブックス・スペイン語編」を買った。これは、フォノシートとか、ソノシートと呼ばれた薄い樹脂製のLPレコード盤が附いた語学教材で、ハンディーなホーム・ユース用のテープ・レコーダー/プレイヤーが登場する以前は、一時期を画した優れものだった。
 忙しい日常の仕事を縫ってのにわか勉強で、スペイン語に関しては、ほとんど手探り状態のまま、7月25日、新婚の妻を残して羽田を出発した。まだ外貨割り当てが厳しく、語学練習生には妻の帯同が許されなかった時代であった。(;)