異様なトイレ2007年04月19日 09:15

 外地で暮らす際、程度の差こそあれ、自国の文物を持ち込んで身の回りに置かない者は滅多にいない。それが、民族固有の食べ物だったり、伝統の家具調度や食器、衣装や道具類のような持参の品であったりする分には、大した問題は起きない。いや、むしろ異邦人や異国の文化文物に関心を抱く地元の人々との交流には欠かせない、有用な小道具になる。
 しかし、行った先で、その地固有の文物を、自国の文化や生活様式に従わせるように改造するとなると、ことはややこしくなる。文化の接触・交流ではなく、文化の侵略になりかねないからだ。
 敗戦後、全国各地に入ってきた進駐軍は、住居やオフィス、遊興施設などに当てる目的で、さまざまな家屋や施設を接収した。それらは、旧日本軍の施設はもとより、県や市の首長の公邸であったり、解体された財閥の別邸や別荘であったり、資産家の私邸であったりした。
 接収された施設には、「OFF LIMIT / NO LOITERING=立ち入り禁止・この付近徘徊するべからず」の赤い表示板が付けられ、並みの日本人を寄せ付けなかった。
 これらの施設は、数年後に順次返還されたが、特に私邸などのケースで、持ち主をひどく嘆かせたのは、その改造・改変ぶりだった。多くの場合、北山杉の床柱や、檜の銘木を使った欄間に真っ赤なペンキが塗られたり、畳がはがされて木の床に変わり、便所が洋式になったりしていた。
 私が一時通った中学は、もともと旧陸軍の兵営だったものを、米軍の接収後に国から払い下げを受けた建物だったが、この建物の内壁には、あちこちに白人女性の巨大なヌードや、コミックの一場面がペンキで描かれていて、子ども心に異様な感じと反感を抱かせられた。
 兵舎と別に、屋根だけの小屋が残っていた。長いベンチのような板張りの腰掛けに、1.5メートルほどの間隔で頭が入るほどの丸い穴が10個ばかり一列に並んでおり、米兵がトイレに使ったといわれていた。穴と穴の間には何の隔壁もなく、兵隊はここで列を作って用を足していたというのだ。日本人には想像を超えた光景だが、教師の一人が、「そういう文化なんだよ」と言った。(;)

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