ミルクの弔鐘2006年03月22日 08:09

 19日の産経新聞などが伝えたところでは、ホクレン農業協同組合連合会が、1リットル入りパック100万本分、1,000トンのミルクを、道内3個所の工場で焼却処分にすることにしたという。生産過剰に加え、加工場の処理能力が足りないため、腐敗するに任せるわけにもいかず、窮余の策だそうだ。
 国連などの資料によると、今も世界でざっと8億人が飢えに苦しんでおり、毎日約24,000人が飢餓または飢餓が原因の病気で死亡している。人類が学ぶべき日本の美徳だと、「mottai-nai」の思想を世界に広めているケニアのノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイ(Wangari Maathai)女史が聞いたら、さぞかし落胆することであろう。
 日本社会の"健康指向"の中で、このところスポーツ・ドリンクやミネラル・ドリンク、緑茶飲料の消費が伸びている半面、牛乳は消費が落ち込んでいる。それなのに、生産の方は好天に恵まれて牧草の育ちが良かったこともあって、昨年秋ごろから前年比プラスの生産過剰状態になった。
 飲料として使わぬなら、どんどんバターやチーズ、脱脂粉乳に加工すればと、素人の浅知恵で思うのだが、そう簡単ではないという。もともと、こうした酪農製品の国内需給も供給過剰気味で、製品在庫が増えるばかりなのだそうだ。
 ルノワールやアングル、古くはルーベンスが描いた女性のような、ふくよかな肉体美は今日の女性には厭われ、肥満を招くような食品や飲料は敬遠されるばかり。そして、コメや麦、野菜や肉や牛乳が、どのように生産され、スーパーに運ばれて来るのかさえ知ろうとしない消費者が多い。
 生産の側も、農産物を「製品」として扱う勢いは衰えず、採算が取れなければ廃棄する例もザラだ。ミレーの「晩鐘」に見るような、大自然と神の恵みに敬虔な感謝を捧げ、厳しいが争いのない労働を尊ぶ風は衰えた。農業を「産業」化する中で、農民も消費者も「食への感謝」を忘れてしまった。(;)