ある訴追請求 ― 2006年12月01日 07:52
あやうく見落としそうな短命の掲示だったが、11月14日付けで「ラムズフェルド氏の起訴請求、戦争犯罪で公民権団体ら」というニュースが、ベルリン発のCNN/APで流れた。
アメリカなどの公民権運動家が、同日、ドイツの検察当局に対し、キューバのグアンタナモ米軍基地刑務所や、イラクのアブグレイブ刑務所でのアルカイーダ容疑者への虐待の責任を求めて、ドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド=Donald Henry Rumsfeld=前米国防長官(74)ら12人を「戦争犯罪」の容疑で起訴するよう、ドイツ連邦検察局に請求したという。
両刑務所の拘束者に対する非人道的な処遇は、証拠写真などを伴った内部告発によって世界中に知れ渡っており、ドイツの検察当局がどのように動くのか、注目される。
ドイツ刑法では、犯行の現場を問わず、戦争犯罪についての捜査・訴追ができるのだそうで、アブグレイブ、グアンタナモ両刑務所で宗教上の侮辱や性的な虐待、暴力行為や拷問などの被害を受けたとされる元収容者らを代表して、公民権運動の活動家たちが訴追要求に踏み切ったという。
訴追請求を受けた12人の中には、イラク駐留米軍のリカルド・サンチェス(Ricardo S. Sanchez)元司令官、米中央情報局(CIA)のジョージ・ジョン・テネット(George John Tenet)元長官なども含まれている。
同じような「戦争犯罪」については、先の大戦の戦勝国によって布告された「極東国際軍事裁判所規程」及び「戦争犯罪類型B項・通例の戦争犯罪、C項・人道に対する罪に該当する戦争犯罪」を巡って軍事裁判が行われ、特にB項・C項に該当するとされた「BC級戦犯」は、横浜、南京、マニラ、クアラルンプールなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれ、約1,000人が死刑の判決を受けている。
中には、身に覚えのない讒訴で極刑に処された者もいた。歴史の流れに押し流され、犠牲になった非業の刑死者たちが、あの世でこのニュースを知ったら、どう思うことだろう。(;)
アメリカなどの公民権運動家が、同日、ドイツの検察当局に対し、キューバのグアンタナモ米軍基地刑務所や、イラクのアブグレイブ刑務所でのアルカイーダ容疑者への虐待の責任を求めて、ドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド=Donald Henry Rumsfeld=前米国防長官(74)ら12人を「戦争犯罪」の容疑で起訴するよう、ドイツ連邦検察局に請求したという。
両刑務所の拘束者に対する非人道的な処遇は、証拠写真などを伴った内部告発によって世界中に知れ渡っており、ドイツの検察当局がどのように動くのか、注目される。
ドイツ刑法では、犯行の現場を問わず、戦争犯罪についての捜査・訴追ができるのだそうで、アブグレイブ、グアンタナモ両刑務所で宗教上の侮辱や性的な虐待、暴力行為や拷問などの被害を受けたとされる元収容者らを代表して、公民権運動の活動家たちが訴追要求に踏み切ったという。
訴追請求を受けた12人の中には、イラク駐留米軍のリカルド・サンチェス(Ricardo S. Sanchez)元司令官、米中央情報局(CIA)のジョージ・ジョン・テネット(George John Tenet)元長官なども含まれている。
同じような「戦争犯罪」については、先の大戦の戦勝国によって布告された「極東国際軍事裁判所規程」及び「戦争犯罪類型B項・通例の戦争犯罪、C項・人道に対する罪に該当する戦争犯罪」を巡って軍事裁判が行われ、特にB項・C項に該当するとされた「BC級戦犯」は、横浜、南京、マニラ、クアラルンプールなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれ、約1,000人が死刑の判決を受けている。
中には、身に覚えのない讒訴で極刑に処された者もいた。歴史の流れに押し流され、犠牲になった非業の刑死者たちが、あの世でこのニュースを知ったら、どう思うことだろう。(;)
香ばしい恨み ― 2006年12月04日 08:02
年末だ。思い出すまま、昔のことを少し書く。──宇都宮で戦災に遭い、日光近くの農村に疎開していた小学5年のころだ。寄留先の農家に、ご隠居がいた。60歳を、出たか出ないか。姿かたちは脂ぎった壮年で、ひどく無口な男だった。
見るもの聞くもの珍しい農村の暮らしである。無遠慮かつ執拗に、あれこれ訊くのだが、ただ「う」とか「にゃ」とだけ声を発するのがせきのやまだ。都会の人間が、嫌いだったに違いない。
夏休みのころ、ご隠居は2日おきに、午後になると縁先で決まった作業をした。裏山から伐り出した太い孟宗竹を、まず50センチほどの間隔で筒状に切る。
次に、鉈を使って、これを縦に割き、太さ1センチ足らずの棒を4、50本作った。次は、棒の片方の先を、ピカピカに研いだ切り出しで削いで尖らす。
竹筒が全部、先のとがった竹棒に変わったところで、作業はひと区切り。ご隠居は、でき上がった竹棒を、束にして納屋に運んだ。出てくる時は、ひと月ほど前に作って寝かしておいた、黄ばんだ竹棒を20本ばかり抱えて来る。
次の作業は、囲炉裏端だ。棒の頭4センチばかりの部分に浅い溝を何本か小刀で刻み、そこへ自家製の苧麻を撚って作った太い糸を巻き付け、しっかりと玉結びに縛る。長さ約50センチの糸の端には、1.2ミリほどの太さの、頑丈な釣り針が付いていた。
薄暮のころ、ご隠居は釣り針のついた仕掛けを束に持って、近くを延々と流れる幅せいぜい3メートルの用水路に出掛けた。釣り針に一つ一つ念入りにミミズを通し、膝上まで流れにつかりながら、3メートルほどの間隔を置いて、竹棒を流れの底や岸の根方に深く刺していった。
明くる朝、もやの残る時間に、ご隠居は仕掛けを引き揚げる。5本に1本くらい、鰻や鯰が糸に絡まっていた。
ご隠居は、獲物を魚籠に入れて持ち帰り、丁寧に糸から外すと、串に縦に刺して囲炉裏の火の周りに立てた。その香ばしい匂いときたら、動物性タンパクに飢えていた少年の鼻腔に、長く長く記憶として留まった。
ただ、一匹の鮒さえも、よそ者には「ご下賜」がなかった。(;)
見るもの聞くもの珍しい農村の暮らしである。無遠慮かつ執拗に、あれこれ訊くのだが、ただ「う」とか「にゃ」とだけ声を発するのがせきのやまだ。都会の人間が、嫌いだったに違いない。
夏休みのころ、ご隠居は2日おきに、午後になると縁先で決まった作業をした。裏山から伐り出した太い孟宗竹を、まず50センチほどの間隔で筒状に切る。
次に、鉈を使って、これを縦に割き、太さ1センチ足らずの棒を4、50本作った。次は、棒の片方の先を、ピカピカに研いだ切り出しで削いで尖らす。
竹筒が全部、先のとがった竹棒に変わったところで、作業はひと区切り。ご隠居は、でき上がった竹棒を、束にして納屋に運んだ。出てくる時は、ひと月ほど前に作って寝かしておいた、黄ばんだ竹棒を20本ばかり抱えて来る。
次の作業は、囲炉裏端だ。棒の頭4センチばかりの部分に浅い溝を何本か小刀で刻み、そこへ自家製の苧麻を撚って作った太い糸を巻き付け、しっかりと玉結びに縛る。長さ約50センチの糸の端には、1.2ミリほどの太さの、頑丈な釣り針が付いていた。
薄暮のころ、ご隠居は釣り針のついた仕掛けを束に持って、近くを延々と流れる幅せいぜい3メートルの用水路に出掛けた。釣り針に一つ一つ念入りにミミズを通し、膝上まで流れにつかりながら、3メートルほどの間隔を置いて、竹棒を流れの底や岸の根方に深く刺していった。
明くる朝、もやの残る時間に、ご隠居は仕掛けを引き揚げる。5本に1本くらい、鰻や鯰が糸に絡まっていた。
ご隠居は、獲物を魚籠に入れて持ち帰り、丁寧に糸から外すと、串に縦に刺して囲炉裏の火の周りに立てた。その香ばしい匂いときたら、動物性タンパクに飢えていた少年の鼻腔に、長く長く記憶として留まった。
ただ、一匹の鮒さえも、よそ者には「ご下賜」がなかった。(;)
罪を招く飢え ― 2006年12月05日 07:56
戦後のどさくさには、地方の農村にも無法状態が広がった。特に、焼け野原と化した都会の周辺では、「特攻崩れ」と呼ばれた青年たちが、大きな農家に日本刀や拳銃を振るって押し入り、強盗を働く事件も相次いだ。
特攻隊で死を決意していた青年が、敗戦で生きる目的とすべを失って、自暴自棄の犯行に走ったのである。まだ10代の者もいた。
食糧の買い出しに来た都会の女性が、集団で乱暴されたりすることもあって、敗戦国の現実は悲惨だった。食糧の買い出し自体が、多くの場合、背に腹を替えられぬ違法行為である。思えば飢えこそが、人心を荒廃させ、罪に押しやる元凶の最たるものだろう。
竿と糸と釣り針か、網や小さな梁で魚を獲る分には、実益を兼ねた趣味の域を出まいが、飢えをしのぐための、血眼の魚獲りが始まると、手段も過激になった。
軍需工場がなくなって、職も失った青年は、職場で得た知識を活かし、小型のバッテリーと手製の変圧器を組み合わせ、電気ショックで魚を獲る道具を作った。
装置から電線を伝って電流が流れる2.5メートルほどの竿の先を、川のよどみに突っ込む。とたんに、大小の魚が白い腹を見せて、ぞろぞろ浮いてきた。
成魚も稚魚も根こそぎの漁法で、当時から違法だと聞いていたが、青年が捕まった話は聞かなかった。警官も忙しすぎたか、空腹すぎたのだろう。
もっと悪いのがいた。1、2級の河川で、大っぴらに石を積んだ堰を造り、上流にカーバイドを投げ込んで密漁した。仲間内で食った残りは、闇市で売ったと、自慢ばなしを何度か聞いた。
これを上回る酷いのになると、終戦で復員する時、軍隊から密かに持ち帰った手榴弾を、1級河川のよどみに投げ込んで炸裂させ、鮎をごっそり獲ったという話だ。
もっともこの鮎は、腹が裂けたり、目が飛び出たりで、闇市で買い叩かれたそうだが、飢えた人々にとっては、それでも大御馳走だった。 間違いなく、飢えは罪人を作る。
この冬、北朝鮮の民は、寒く、ひもじかろう。(;)
特攻隊で死を決意していた青年が、敗戦で生きる目的とすべを失って、自暴自棄の犯行に走ったのである。まだ10代の者もいた。
食糧の買い出しに来た都会の女性が、集団で乱暴されたりすることもあって、敗戦国の現実は悲惨だった。食糧の買い出し自体が、多くの場合、背に腹を替えられぬ違法行為である。思えば飢えこそが、人心を荒廃させ、罪に押しやる元凶の最たるものだろう。
竿と糸と釣り針か、網や小さな梁で魚を獲る分には、実益を兼ねた趣味の域を出まいが、飢えをしのぐための、血眼の魚獲りが始まると、手段も過激になった。
軍需工場がなくなって、職も失った青年は、職場で得た知識を活かし、小型のバッテリーと手製の変圧器を組み合わせ、電気ショックで魚を獲る道具を作った。
装置から電線を伝って電流が流れる2.5メートルほどの竿の先を、川のよどみに突っ込む。とたんに、大小の魚が白い腹を見せて、ぞろぞろ浮いてきた。
成魚も稚魚も根こそぎの漁法で、当時から違法だと聞いていたが、青年が捕まった話は聞かなかった。警官も忙しすぎたか、空腹すぎたのだろう。
もっと悪いのがいた。1、2級の河川で、大っぴらに石を積んだ堰を造り、上流にカーバイドを投げ込んで密漁した。仲間内で食った残りは、闇市で売ったと、自慢ばなしを何度か聞いた。
これを上回る酷いのになると、終戦で復員する時、軍隊から密かに持ち帰った手榴弾を、1級河川のよどみに投げ込んで炸裂させ、鮎をごっそり獲ったという話だ。
もっともこの鮎は、腹が裂けたり、目が飛び出たりで、闇市で買い叩かれたそうだが、飢えた人々にとっては、それでも大御馳走だった。 間違いなく、飢えは罪人を作る。
この冬、北朝鮮の民は、寒く、ひもじかろう。(;)
横着も勝因だ ― 2006年12月06日 07:07
小中のころ、女の先生が担任になると聞くと、悪いけど、とたんに皆がウェーと奇声を発した。男女組でも、ウェーに和した女の子が大勢いた。なぜか。
まず、怒り方が気まぐれで、法則性がない。虫の居所が悪いと、ネチネチと小言を言ったり、叱っているうちに自分が泣き出してしまう若い女性教師もいた。今と比べ、子どもがかなり従順だった分、若い女教師も純情だったのか。
国民学校4年の、昭和19年の冬。日本はすでに敗色濃く、銃後の生活も、日一日と窮迫していった。食糧の配給は滞り、コメの代わりにサツマイモやカボチャが配られ始めた。女性教師のイライラは、夫や恋人を戦地に送り、留守を預かる辛さや不安と無縁ではなかったろう。
冬休みの宿題に、何か自分で工夫・発明したものを作って来いと命じられた。日ごろ、寒中の雑巾がけには泣かされていた。北関東の冬は、雪が少ない分だけ寒い。井戸から汲んだ水は、そのまま手を浸しておきたくなるほど初めは温かい。
そうもしていられないので、雑巾を絞って長い廊下を四つん這いになって拭いていくと、拭いた跡が見る見る凍って光り出す。バケツの水も、3度目に雑巾を洗い出すころには、手の感覚がなくなるほど冷たくなった。
それならと、幅7センチ、厚さ1.5センチばかりの板、それぞれ2枚を材料に、短い方が25センチ、長い方が70センチほどのT字型を2組作り、短い板の縁に蝶番を2つ付けて合体、開くと細長い十字形になるように工作した。次いで短い板の片面に、25センチ×30センチの雑巾の端を、短い釘をたくさん打って固定した。これで、新案特許「柄付き雑巾」を作ったのだ。
女先生が「これは何か」と訊くから、バケツの水で雑巾部分を濡らしてたたみ、2枚の短い板で挟んで絞る。柄を握って床を拭いた後、雑巾を濯いで同様に絞れば「手を濡らさず拭けて、寒い朝は助かる」と、実演して説明した。
途端に「横着っ」と、ひったくられ、柄の部分で頭をガツンと殴られた。敗戦後、進駐軍の生活を見て、絶えず快適と安楽を求める横着さが勝因の1つと見て取り、我が意を得た。(;)
まず、怒り方が気まぐれで、法則性がない。虫の居所が悪いと、ネチネチと小言を言ったり、叱っているうちに自分が泣き出してしまう若い女性教師もいた。今と比べ、子どもがかなり従順だった分、若い女教師も純情だったのか。
国民学校4年の、昭和19年の冬。日本はすでに敗色濃く、銃後の生活も、日一日と窮迫していった。食糧の配給は滞り、コメの代わりにサツマイモやカボチャが配られ始めた。女性教師のイライラは、夫や恋人を戦地に送り、留守を預かる辛さや不安と無縁ではなかったろう。
冬休みの宿題に、何か自分で工夫・発明したものを作って来いと命じられた。日ごろ、寒中の雑巾がけには泣かされていた。北関東の冬は、雪が少ない分だけ寒い。井戸から汲んだ水は、そのまま手を浸しておきたくなるほど初めは温かい。
そうもしていられないので、雑巾を絞って長い廊下を四つん這いになって拭いていくと、拭いた跡が見る見る凍って光り出す。バケツの水も、3度目に雑巾を洗い出すころには、手の感覚がなくなるほど冷たくなった。
それならと、幅7センチ、厚さ1.5センチばかりの板、それぞれ2枚を材料に、短い方が25センチ、長い方が70センチほどのT字型を2組作り、短い板の縁に蝶番を2つ付けて合体、開くと細長い十字形になるように工作した。次いで短い板の片面に、25センチ×30センチの雑巾の端を、短い釘をたくさん打って固定した。これで、新案特許「柄付き雑巾」を作ったのだ。
女先生が「これは何か」と訊くから、バケツの水で雑巾部分を濡らしてたたみ、2枚の短い板で挟んで絞る。柄を握って床を拭いた後、雑巾を濯いで同様に絞れば「手を濡らさず拭けて、寒い朝は助かる」と、実演して説明した。
途端に「横着っ」と、ひったくられ、柄の部分で頭をガツンと殴られた。敗戦後、進駐軍の生活を見て、絶えず快適と安楽を求める横着さが勝因の1つと見て取り、我が意を得た。(;)
越中ふんどし ― 2006年12月07日 07:56
中3の夏、昭和24年だった。家から3キロほどの海岸で、同級のMと弟の3人で泳いだ。8月も末、海は土用波でかなり荒れており、海の家もほとんどが店じまいして空き小屋になっていた。
「赤ふん」は家で締めて来たし、ズボンと半袖の開襟シャツを脱げば、すぐ波打ち際に走れた。3人とも砂浜に着衣と下駄を脱ぎ、タオルや帰り用の下着をまとめて置くと、海へ突っ走った。
夏休みも終わり近くの平日だけに、海水浴客はまばらで、日射しは厳しさを留めていたが、水から出て強い風に吹かれると、鳥肌立つほどの寒さを感じた。秋が、近くまで来ていた。
そんなわけで、かえって水の中にいる方が心地よく、20分もしてから砂浜に上がり、タオルにくるまって、お袋が持たせてくれたふかし薯を食べながらひと休み。やがて、また海にもどった。
こんどは、そう長く水の中にはいなかった、と記憶する。風で寒いので、早くタオルにくるまろうと、大急ぎで着衣を置いた場所へ戻る。と、タオルが消えている。風に飛ばされたかと、辺りを見回しても砂ばかりだ。
飛ばされることも考え、3人分の着衣とタオルを重ね、その上に漬け物石ほどの石を乗せておいた。その石は、一つポツンと残っている。よく調べると、着衣も下着も下駄も、弟の分だけを残して、私とMの分は下駄さえない。
「盗られたっ。やられたー」と叫んで、遠くに犯人を目で追ったが、それらしい人影もない。
あきらめは早かった。弟を着替えさせ、家からMと2人の着替えを持って来るよう頼んで帰した。それにしても、弟の分だけ着衣・履き物一式を残したのは、泥棒の人情だったのだろう。
Mは、母親が李朝の女官だったとかで、品のいい顔つきをした「お坊ちゃま」だった。この日も、われら兄弟の「赤ふん」に対し一人、紺のウールの水泳パンツを履いていた。
1時間半ほどして、弟がシャツとズボン、越中ふんどしと下駄を、風呂敷に包んで持って来てくれた。越中を広げたMが訊ねた。「これ、どうやって履くの?」──確かにお坊ちゃまだった。(;)
「赤ふん」は家で締めて来たし、ズボンと半袖の開襟シャツを脱げば、すぐ波打ち際に走れた。3人とも砂浜に着衣と下駄を脱ぎ、タオルや帰り用の下着をまとめて置くと、海へ突っ走った。
夏休みも終わり近くの平日だけに、海水浴客はまばらで、日射しは厳しさを留めていたが、水から出て強い風に吹かれると、鳥肌立つほどの寒さを感じた。秋が、近くまで来ていた。
そんなわけで、かえって水の中にいる方が心地よく、20分もしてから砂浜に上がり、タオルにくるまって、お袋が持たせてくれたふかし薯を食べながらひと休み。やがて、また海にもどった。
こんどは、そう長く水の中にはいなかった、と記憶する。風で寒いので、早くタオルにくるまろうと、大急ぎで着衣を置いた場所へ戻る。と、タオルが消えている。風に飛ばされたかと、辺りを見回しても砂ばかりだ。
飛ばされることも考え、3人分の着衣とタオルを重ね、その上に漬け物石ほどの石を乗せておいた。その石は、一つポツンと残っている。よく調べると、着衣も下着も下駄も、弟の分だけを残して、私とMの分は下駄さえない。
「盗られたっ。やられたー」と叫んで、遠くに犯人を目で追ったが、それらしい人影もない。
あきらめは早かった。弟を着替えさせ、家からMと2人の着替えを持って来るよう頼んで帰した。それにしても、弟の分だけ着衣・履き物一式を残したのは、泥棒の人情だったのだろう。
Mは、母親が李朝の女官だったとかで、品のいい顔つきをした「お坊ちゃま」だった。この日も、われら兄弟の「赤ふん」に対し一人、紺のウールの水泳パンツを履いていた。
1時間半ほどして、弟がシャツとズボン、越中ふんどしと下駄を、風呂敷に包んで持って来てくれた。越中を広げたMが訊ねた。「これ、どうやって履くの?」──確かにお坊ちゃまだった。(;)
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