ミッション(上)2006年12月21日 08:00

 昭和30(1955)年の夏、箱根・芦ノ湖の湖尻にあった、神奈川県営のキャンプ場でアルバイトをした。仕事は、管理棟の売店の仕入れ計画と、在庫管理、それに販売促進と会計だった。
 どういうわけか、県の役人は派遣されておらず、元箱根に小さな萬屋を構えるHさんが、全ての管理を一任されていた。Hさんのほかは、8~9人のアルバイト大学生で、場内の清掃、寝具など貸し出し品の管理、キャンプ・ファイヤーの始末、場内の巡回などを分担した。アルバイトたちの賄いを受け持つ女子大生が2人いた。
 売店係は、賄いの手が空いている女子学生と私が受け持ったが、客が大勢入る週末などは、昼飯を食いそびれるほど忙しかった。難しいのは、仕入れ計画と在庫管理だ。なにしろ電話がなかった。予約客の数と曜日、それに天気予報を頼りに、ビールや清涼飲料、氷やドライアイス、アイスクリーム、缶詰や菓子類の仕入れ数量を、前日の朝9時までに決めておかなくてはならない。この時刻に、Hさんが小型トラックで翌日の注文を聞きに来る。注文した品は、夕方運ばれて来た。
 山の天候は変わり易い。土日でも、予想外の雨が降ったりすると、お客はバンガローやテントに籠もりきりになって、たちまち売り上げも急落、飲み物やアイスの在庫ができた。
 ある土曜日の夜、8時ごろだった。酔った客同士の喧嘩が起きて、若い男が脇腹を刺された。仲間が血相変えて管理棟に駆け込んできて、すぐ来てくれという。駆けつけると、おびただしい出血だ。とって返して、新品の木綿のシーツと救急箱を持って戻る。戻りしなにH大のNさんに、「場内を回って医者を捜して」と頼み、N大山岳部のMさんには「担架を作って」と、頼んだ。
 現場に戻って、シーツを50センチほどの幅に裂き、縦2つに折って、傷が当たる部分にヨードチンキを1瓶全部ぶちまけ、ぐるぐる巻きにきつく縛った。その時、傷を見たが、幸い「刺された」というより「切られた」感じで、あまり深くはないように見えた。それでも、シーツに血がにじんだ。(;)