欺きの世渡り2005年12月06日 08:05

 Aは、大学を出ると大手の証券会社に入った。が、しばらくすると辞めた。ある大金持ちの妻の莫大な資産の運用にしくじったせいだと噂が流れたが、友人たちにも行く先を告げず、日本から消えた。アメリカとも、ドイツとも、不確かな消息が、思い出したように語られた。ところが、数年後、外資系大手事務機メーカーの日本法人副社長という肩書で現れ、友人たちを驚かせた。
 妙なことに、その会社も数年で辞めた。何があったのか語らなかった。が、こんどはドイツ系の結婚仲介会社の日本代表という名刺を撒いた。広告で"ブランド力"を付けることや、マスコミをうまく利用して新聞・雑誌・テレビに、スマートに働き豪勢に遊ぶ”青年実業家”の姿を紹介させ、ビジネスに活かしていった。大型ヨットなどに乗せられる、メディアもメディアだった。
 そのころ、名声と購読者を重んじていた新聞は、読者に被害を及ぼす恐れがあり、風俗犯罪の懸念もあるという理由で、広告掲載基準に明記して、結婚仲介業の広告は載せなかった。
 Aは、そこに目を付けた。そのような良心的な新聞に広告を載せられれば、会社の信用は一気に高まり、良質な顧客を数多く集められる、と考えた。たまたま、ある良心的新聞の広告掲載審査部門の責任者が、Aの旧友の私だった。
 これを知ったAは私を訪ね、自社の結婚仲介システムがいかに近代的であり、人権に配慮しているかなどを弁舌さわやかにまくし立て、「友達だろう、例外として広告を載せてくれ」と懇願した。
 だが、私は断った。友情は友情だが、新聞社には新聞の立場があり、現に規則は動かせないと。
 ところが、その直後に私が異動になって広告部門を離れた。Aは、この情報を掴むと新聞社を再訪し、「前任者から許可をもらっている」と、新任の責任者を丸め込んで、広告を載せることに成功する。騙される方もお粗末だった。切れた堤からは、この業界の広告がどっと流れ込んだ。
 期待の広告だったが、すでに業界は過当競争になっており、不祥事も起きてAの会社も先細った。
 Aは、逃げ足早く古巣の証券業界に舞い戻ったが、しばらくするとまた消息を絶ち、消えた。(;)