違う文化特性2005年07月11日 08:12

 欧米の人々と、食文化の違いについて議論すると、思わぬ残酷論争になる。所詮は"目くそ鼻くそ"の類なのだが、毎日何百万の牛・豚・羊や鶏を屠って食欲を満たしている人たちが、こと鯨となると目くじらを立てる。かつての乱獲を忘れたかのようだ。ただ、当方も白魚の躍り食いや、鯛の活け作りを喜ぶのだから、動物の骨や内臓を熱処理し、粉にまで砕いて脂や肉骨粉として再利用することを、一概に残酷と指弾はできぬ。
 しかし、それをもとの仲間にエサとして与えるとなると、多くの日本人は抵抗を感じて、たじろぐ。そこには食の文化よりもっと深い、宗教に発した精神文化の違いが潜んでいるからだ。
 欧米文化の核心に「人間中心主義」がある。生物万般の頂点にあって全てを従えているのは人間であるという『旧約聖書』以来の世界観だ。それは、同じ人間でも、キリスト教を信じる白人を、他の人種より上に位置づける世界観につながっている。そのように解釈しないと、動物愛護こそが文明の証であるとして、愛する犬猫・豚・羊・兎・鼠や各種の鳥となら起居を共にし、家族として付き合う英国人が、何故に肉骨粉を創り出したのかが理解できない。──「人間中心主義」とは、所詮「人間勝手主義」なのだ。因みに「動物愛護協会」は、英語で「Humane Society」である。
 そこへ行くと、仏教を基盤とする日本の精神文化では、人間を含め、あらゆる生き物は等しく「生きとし生けるもの」「生類」であり、この世で牛であるものは、前世の業の報いであり、徳行によって、来世は人間に生まれ変わるかも知れない。同様に、現世で人間であっても、悪行の報いで来世は蛇か虱に生まれるかも知れない、という「輪廻の思想」が底に漂う。
 だから、殺生戒を戴いて一本歯の下駄を生み、生き物への憐憫を勧め、温かい血と四肢を持つ動物には、特別な憐れみを抱く。
 今日、欧米主導のグローバライゼーションが、しばしば文明の衝突を起こすのは、それが異民族の固有の文化的特性を軽んじ、欧米の経済原理の普遍化を押しつけようとするからにほかならない。容易に分かっては貰えぬだろうが、肉骨粉の給餌だけは、何とかやめるよう頼みたい。(;)