読まれた恋文2005年12月02日 08:05

 新聞社の地方支局に勤務していたころ、許嫁が遠方にいて、しばしば手紙を交わしていた。
 夜勤の晩などに、やっと時間を見つけて書いていると、事件の突発で飛び出すことも多く、書きかけの便箋を、最近の着信や封筒、住所録、切手などと一緒に、社名入りの大きな茶封筒に突っ込み、ロッカーの天板の上に置く決まりにしていた。
 たまたま管内で日教組の教研集会があって、本社から文教担当のベテランY記者が出張して来た。大器の風格がある優れた記者だったが、その分、まるで些事にはこだわらない。言ってみれば、1にも確認、2にも確認で、キリキリ仕事をする新聞記者の中では、むしろ異端だった。
 まず、開会に遅れて来た。夕刊の早版に、原稿を送り終えたころ、悠然と現れ、「ま、いいでしょう。いずれ、始まるものは始まる……」と、新米記者を驚かす。
 分科会に出かけて行って、夕方、のっそりと戻って来た。足元を見ると、当時トイレで使われたワラ縄で編んだスリッパ状の突っ掛けを履いている。どうしました、と問うと、「誰か、私の靴を履いて行ってしまったらしくて、……」と、油気のない長髪を掻き上げて、力なく笑った。
 靴箱に打ち捨てられていた踵の減った古靴を見せると、「あ、これでいい。なんとか履けますわ」と、翌日からその靴で取材に出かけた。
 何日かの滞在ののち帰って行ったが、その晩も私は宿直で、例の書きかけ便箋を入れた茶封筒を捜した。が、置いたはずの場所にない。終いには、屑カゴの中まで掻き回したが見当たらない。住所録がなくなったのも痛手だったし、気色の悪い思いを抱えた。
 翌々日、本社からの便に混じって、問題の茶封筒が送られてきた。同封して、「大切なものを、粗忽にも誤って持ち帰ってしまい……」と、Y記者の丁重な詫び状が添えられていた。社名入り封筒私物化の怖さを、思い知らされた。
 後年、デスクとヒラの関係で再会する。恋文の相手とは、すでに結婚していた。静かな夜勤の晩、「あれは、読まれましたか」と聞くと、ただ「うふふ」と笑うだけだった。(;)

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