女性の役割(上)2007年02月14日 08:01

 軽々にこの問題を書くと、腐った卵やトマトが飛んで来るかもしれぬ。でもやむを得ない。言わねばならぬ時は言う。それが、私の天職とするジャーナリズムだ。ヤクザや破落戸にモノ言う時より、実は遙かに怖いのだが、やはり書いて、皆さんの論議の素材に供しよう。
 柳沢伯夫厚労相(71)の「産む機械」発言には、弁護の余地が全くなかった。何より厚生労働行政を預かる国務大臣として失格だ。さっさと辞任すべきなのに、地位に恋々として恥の上塗りを演じた。安倍首相は、即座に更迭すべきだった。首相まで、同じ意識かと疑われても仕方ない。内外に重大問題が山積する中で、国政を混乱させた責任は、本人はもとより、首相も免れない。
 戦前世代の男性には、女性の役割に「はたけ」「はら」などと、殊更に生殖機能面を強調し、平気でそんな言葉を使う人がいたが、もう昔話になりつつある。柳沢タイプは、すでに例外的存在で、今はむしろ中高年ほど、男女ともジェンダーの役割分担を理解し合っていると言えるだろう。
 しかし、だ。殊に20代、30代の若い女性が、「産む、産まないは女の自由」とか「こんな世の中じゃ生まれる子が不憫。産む気になれない」、あるいは「安心して子育てができる収入もないし、社会支援もない」などと、子を産まない理由を他人事のように声高に言うのは、聞き捨てならない。
 彼女らの父母が子どもだった、ほんの半世紀ちょっと前まで、彼女らの祖母たちは、電機洗濯機も、電子レンジも、電気掃除機もない中で、また地方などでは大半がガスも水道もない台所で、立派に主婦として2人も3人もの子を育て、夜なべの内職をし、子らの服を縫うミシンを踏んだ。
 祖母たちは、つらかったに決まっている。私の母なども、冬はアカギレを作った。ざっくり1センチほどに割れたアカギレに、ネズミの糞状の黒い膏薬を乗せ、焼け火箸でジーッと溶かす。自分もやってみたから、その痛さといったら、脳天まで刺されるようだった。ほとんどの家庭が、出産は家で済ませた。母たちは助産婦の助けで、歯を食いしばり声を殺して、産みの苦しみに耐えた。(;)