怖い共謀罪(下)2006年05月02日 07:55

 「共謀罪」の怖いところは、殺すとか、爆破するとか、毒を撒くとか、物騒なことを仲間内でうっかり口にしただけで、実行する気もなく、事実、実行しないでも、「犯罪」と見做される可能性がある点だ。刑罰は最高5年の懲役である。
 私たちは、会社の仲間や学校友だち、あるいは地域の仲間などで、ワイワイやっていると、ついつい、「殺っちまえ!」などと、かなり恐ろしい言葉を交わしていることがある。当初の政府案は、「共謀罪」該当の行為を、ただ「団体の活動として」と定義しようとしていたから、これは危険きわまりないと、日弁連なども反対に回った。
 結局、与野党の修正で「団体」をより明確に定義し、「組織的な犯罪を実行することを目的とする犯罪集団」といった形へ絞って行く方向のようだ。
 それでも心配は残る。最大の懸念は、法の条文の拡大解釈である。「犯罪集団」と見倣す、見做さぬの裁量は、初次的には警察・検察に委ねられる。そこに、大きな懸念がある。民族自決の闘争さえ、「犯罪」扱いされる恐れがあるのだ。
 例えば、欧米大国の御都合主義のせいで、祖霊の地を追われたパレスチナのハマスのような"過激派"は、「組織的な犯罪」と見做せば見做せる「テロ」の手段を使って、イスラエルと「戦争」をしている。この闘いには、世界的にも同情する者は多い。
 もし日本国内で、精神的、あるいは資金的にハマスを支援するグループが、国際的な連帯活動をした場合、政府の外交政策や司法の裁量次第で、「組織的な犯罪」と見做されかねない。すると、民族自決は「犯罪」になってしまう。
 とにかく、実行段階にない犯罪が「犯罪」になるのでは、頭で考えていることまで立ち入って捜査されることすらあるだろう。盗聴や密告はザラになりそうだ。第一、脳ミソの中まで探られるのでは、戦時の刑法だ。
 日本の場合、こうした組織犯罪には、現行法で充分対応できると主張する法律学者もいる。耐震設計欺罔事件の面々が、別件逮捕された例を見ても、司法の裁量権は怖がって当然である。(;)

コメント

_ たま@無精庵 ― 2006年05月02日 11:53

 なぜ歴史教育が現代から遡上する方向で学習されないのか、不思議でなりません。日本の歴史の成り立ちなどとは言っても、上古の神話時代は統一された国家として存在していたかどうかも不明で、邪馬台国などの位置すら確定できぬところから始めるのは、歴史ロマンとしては面白くても学習としては意味があるとは思えません。
 当然のように近代の歴史、特に明治以降はお座なり。現代に直結する過去も知らず、喧伝される神話的日本だけが称揚される現状では、歴史に学ぶなどという文言は死語となり、ある意図を持つ為政者の欽定史観だけが跋扈する。爛熟した大正デモクラシーの背後で、着々と軍国主義が芽吹いていた時代と現代が重なります。
 スローガンだけは勇ましいが、中身はまったく説明の体を成していない総理大臣と、それが「格好いい」と賞賛する若い人たち。
 三島由紀夫は真の日本の独立を考えた崇高さが、そのまじめでひたむきな分だけ、多分に滑稽さを伴ってしまう悲劇の最期となりましたが、現在の右傾化は日本の国家の真の独立という視点よりも、対外的な中国脅威論に基づく煽動に近い状態を利用してのものであるだけに始末が悪いし美しくもありません。
 権力を取り締まる法律は笊法ばかりなのに、こうした法律だけは権力の恣意的な運用の部分を相当程度残す。自分が取り締まられるとは思ってもみない想像力の貧困さに、現代の国会議員の知的なレベルが透けて見えます。

_ 竹庵(無精庵様へ) ― 2006年05月02日 22:26

 たま@無精庵様。 歴史は、「やり直し」が利きません。その意味で、毎日、刻々が「取り返しのつかない」歴史なのです。
 だから、大袈裟と言われれよようが、ひが目と嗤われようが、言える時に言い、やれる時に行動しておかないと、気が付いた時には、取り返しのつかない事態になっているかもしれません。また、昨日の物差しを、いつまでも使い続けてものごとを計るわけにもいきません。
 今、貴方様が「右傾化」と感じられているものは、むしろ、日本にとっても、自然な国家観の復活を反映した、「左右」では計れない時代の空気ではないでしょうか。
 つまり、諸国民をイデオロギーが縛って、2つの陣営に分断し対峙させていた東西冷戦構造のタガが弾けて、諸国民が本然的な民族主義を復活させ、民族の主張を始めたことによる世界的な空気の変化ではありませんか。
 従って、単純に「右傾化」と決めつけては間違うでしょう。現象としては左を固めていた階級闘争史観が破綻したのだから、その分、右に傾いたように考えられても、実態は、北朝鮮・キューバ・中共党を除けば、本来の民族主義を基盤とした、多極的な世界に戻り、改良資本主義や、修正社会主義、宗教的原理主義などを拠り所に、それぞれが自立を目指し、てんでシノギに生き延びて行こうとしている。
 その中で、1強の形になってしまったアメリカに、日英を含めた多くの国が、寄らば大樹で付き随っている。しかし、それとて、イスラーム諸国・ロシア・中国・フランス・ドイツ・スペインとヒスパニックの民族国家群が、それぞれ自己主張を強めて、ワシントンを苛立たせている、という構図でしょう。
 もはや、右とか左という物差しは、通用しません。そして、日本の針路も、対米追随一辺倒では済まされない時代です。多極的な世界の時代には、それなりの、国交の距離感と賢さ、何より国家・民族としての主体性が不可欠で、外交術の重要さがますます大きくなっています。

_ たま@無精庵 ― 2006年05月03日 10:23

 右傾化という言葉が悪かったようですが、民族主義が国粋主義と取り違えられている、あるいはその違いを意図的に隠蔽するという点で、どうもこの国の流れが心配なのです。
 事実として迷惑メールなどの発信元、あるいは中継元の多くが中国からのもので、そうした点は庶民に中国という国への不信感を与えます。そうした庶民の不信感のレベルが一方にあって、靖国などを問題視する事から日本と中国の国家間の不信感が生じています。この不信感のレベルが一致すると、なにやら焦臭い動きが始まるように思えるのです。
 誰かが煽っているのかも知れませんが。

_ 竹庵(無精庵様へ) ― 2006年05月04日 09:07

 たま@無精庵様。 難しいところですね。国粋主義は民族主義から生まれると考えられませんか。延長線上の思想でしょう。いいとか、悪いとかは別問題として、今やわが周辺国は、いずれも国粋主義に近い民族主義に立脚しています。
 支那という国が、漢民族を中心に、近世でこれほど民族意識に高揚した時代はないでしょう。もともと伝統的な中華思想と相まって、中国は共産党のイデオロギーを越えて、世界に国家の存在をアピールし、権益を主張しています。
 同じように、朝鮮民族がかつて今ほど民族国家を主張した時代も知りません。南北は、北朝鮮が核を持ったことで連帯感を強め、遠からず合一するでしょう。難しい地政学的な地位にありながら、6者協議の場でも窺えるように、暗黙の同一歩調をとって、大国に対抗しようと国粋的になっています。
 そんな中で、日本はどうなんでしょうか。まず、現実に開眼しないと。
 

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