新聞の史観(20)2006年09月21日 08:00

 ローズヴェルトが世界に誇示した大艦隊は、どの艦体も純白に塗られ、金色の渦巻き模様で飾られた舳先には、赤・白・青の艦隊旗を翻していたことから、「Great White Fleet=白い大艦隊」と呼ばれた。当時の軍艦は、黒く塗られるのが常識だったから、金色の舳先飾りといい、白い艦体といい、親善航海の艦隊とはいえ白人勢力の威容を象徴すると思わせるに充分だった。
 艦隊は、1907(明治40)年12月16日、ローズヴェルトに見送られて、ヴァージニア州ハンプトン・ローヅ(Hampton Roads)を出港、米大陸を時計回りに南下、パナマ運河はまだ開通していなかったから、マゼラン海峡を通ってサン・フランシスコからホノルル、オークランド、シドニー、マニラを経て、翌1908年10月18日に横浜に入港、同25日まで滞在した。
 日本の歓迎ぶりは盛大だった。米側の記録では、ブラスバンドを演奏しつつ入港した艦隊を、数千人の学童が両国旗を振って迎えた。日本側の新聞報道でも、乗り組みの将兵らとの交歓行事が盛んに行われたことが記録され、政界を一時退いて早稲田大学総長として国際交流の推進にも努めていた大隈重信が、朝日新聞に「艦隊来訪観」と題して歓迎の一文を寄せている。
 艦隊は、この後、廈門、マニラ、コロンボ、スエズ、シシリー、ナポリ、ジブラルタルなどを経由し(英国には寄らず)、1909年2月22日、出発地のハンプトン・ローヅに帰還した。航程77,400km、14ヵ月に及ぶ、14,000将兵の大事業を、退任目前のローズヴェルトが自ら迎えた。
 大航海は、次の点で米国海軍にとって、極めて意義が大きかった。つまり第1に、質量ともに当時の世界一を誇っていた英海軍の向こうを張って、米海軍の強大さを世界に認知させたこと。第2に、綿密に計画された艦隊行動と、将兵の高い練度を示せたこと。第3に、世界各国の寄港地で円滑に補給を行える国際的な友好関係を実証できたこと、であった。
 特に第3の点は、補給に困難を極めた長駆遠征の末、日本海で惨敗したロシア・バルティック艦隊の「失敗の研究」による実験でもあった。(;)