イラクの内戦2006年11月27日 08:09

 イラク情勢は、混迷を深めるばかりだ。いかに糊塗しようとアメリカの傀儡でしかないマリキ政権の下で、米大統領や英首相、そして前日本首相が求めた「民主化」への道は、固まるどころか、現状は「内戦」の泥沼と化している。
 流血は規模を増し、先週23日には、バグダッドの「サドル・シティー」で、自爆特攻を含む5台の車爆弾が爆発、死者だけで200人を超す惨事が起きた。同じ日、保健省は約30人の武装集団に襲われ、シーア派中心の政府軍と3時間に及ぶ戦闘もあった。
 サドル・シティーは、貧しいシーア派住民の居住区で、かつては「サダム・シティー」と呼ばれた。2003年3月のイラク戦争開戦まで、この国の大統領で、今月初め死刑判決を受けたサダム・フセインが、地区の再開発に熱心だったことから、サダムの名を冠していた。サダムの拠ったバース党は、イラクでのムスリムの約2割を占めるに過ぎないスンニ派を母体としていた。
 サダムの失脚後、同地区は1999年にサダム政権に処刑されたシーア派の宗教指導者ムハンマド・サデク・アルサドルの名を記念して「サドル・シティー」と呼ばれるようになった。今は、ムハンマド・アルサデクの四男で、人望もあり、独自の民兵を擁した本来反米のムクタダ・アルサドルを指導者としている。
 イラクの近代史では、シーア派は圧倒的な多数派でありながら、世俗権力を握ったことはない。ところが、「多数決原理」を旨とする民主主義という統治制度を、最も古いイスラームの世界に移植して、アングロ・アメリカンのスタンダードを押し付けようとした米英は、多数派のシーア派と、サダム政権時代から民族の独立を唱える「反政府勢力」だったクルド民族の、それも欧米で教育を受けた人々を重点に起用して、今の政権を創った。
 しかも究極の狙いは、親米英の新政権下での、石油資源を軸にした新経済秩序だ。そんな人工的な政権が、神と人との調和社会「ウンマ」を信ずるムスリムを支配できるわけがない(『雑記』2006年2月7日~「文明の衝突」参照)。米政権内で、密かにサダム・フセインの復権案が浮上しているという"夢物語"も由なしとしない。(;)