サダム裁判(上) ― 2006年11月28日 07:56
 サダム・フセイン元イラク大統領(69)ら8人の旧政権幹部の「専政」を裁いている「イラク高等刑事法廷=Iraqi High Criminal Court」は、1982年7月に大統領らがイラク中部ドゥジャイル村を訪れた際、シーア派住民が起こした暗殺未遂事件への「報復」として、村民ら148人を処刑、女性や子どもまで約400人を拘束・迫害した事件への判決を下した(11月5日)。
判決は、元大統領とバルザン・イブラヒム元ジュネーブ国連代表部駐在大使、アワド・バンダル元革命裁判所長官の3被告に求刑通り死刑(絞首刑)、ラマダン元副大統領に終身刑、旧バース党3幹部に禁固15年、当時の地方幹部1人を無罪とした。
フセイン元大統領らは、この他にも、1980年代後半にイラク北部で、独立を求めるクルド人十数万人を虐殺したとされる「アンファル作戦」、特に1988年にサリンなどの化学兵器でクルド人を大量殺戮したと伝えられる「ハラブジャ事件」などの責任も訴追されており、裁判はまだ続く。
ただ、どんな状況下の裁判であれ、被告が誰であれ、どれほど凶悪な犯罪を犯したとされる者であれ、裁判は公明正大に行われねばならず、疑義のある法廷によって裁かれた被告人への判決を、世界の今と歴史が、無批判に追認することがあってはならない。
特に、前の大戦での戦争責任を、戦勝国側の手による急ごしらえの「法体系」の下で、一方的に裁かれた断腸の歴史体験を持つ日本人としては、この裁判の成り立ちと行方を、真剣に見守り、声を上げるべきだ。
この法廷には、「ニュールンベルク裁判」や「東京裁判」に似た疑義がある。まず設置の経緯だ。法廷は、2003年12月、米軍がフセイン元大統領を拘束する直前に、「イラク暫定政権=CPA=Coalition Provisional Authority」が公布した「イラク特別法廷規程=The Statute of The Iraqi Special Tribunal」によって設置された「特別法廷」を母体に、2005年10月、この法廷規程を改めた法律により「刑事裁判所=Criminal Court」として設置された"泥縄法廷"である点だ。(;)
判決は、元大統領とバルザン・イブラヒム元ジュネーブ国連代表部駐在大使、アワド・バンダル元革命裁判所長官の3被告に求刑通り死刑(絞首刑)、ラマダン元副大統領に終身刑、旧バース党3幹部に禁固15年、当時の地方幹部1人を無罪とした。
フセイン元大統領らは、この他にも、1980年代後半にイラク北部で、独立を求めるクルド人十数万人を虐殺したとされる「アンファル作戦」、特に1988年にサリンなどの化学兵器でクルド人を大量殺戮したと伝えられる「ハラブジャ事件」などの責任も訴追されており、裁判はまだ続く。
ただ、どんな状況下の裁判であれ、被告が誰であれ、どれほど凶悪な犯罪を犯したとされる者であれ、裁判は公明正大に行われねばならず、疑義のある法廷によって裁かれた被告人への判決を、世界の今と歴史が、無批判に追認することがあってはならない。
特に、前の大戦での戦争責任を、戦勝国側の手による急ごしらえの「法体系」の下で、一方的に裁かれた断腸の歴史体験を持つ日本人としては、この裁判の成り立ちと行方を、真剣に見守り、声を上げるべきだ。
この法廷には、「ニュールンベルク裁判」や「東京裁判」に似た疑義がある。まず設置の経緯だ。法廷は、2003年12月、米軍がフセイン元大統領を拘束する直前に、「イラク暫定政権=CPA=Coalition Provisional Authority」が公布した「イラク特別法廷規程=The Statute of The Iraqi Special Tribunal」によって設置された「特別法廷」を母体に、2005年10月、この法廷規程を改めた法律により「刑事裁判所=Criminal Court」として設置された"泥縄法廷"である点だ。(;)

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