新聞の衰微(5)2006年08月11日 08:00

 近ごろの、全国紙の地方版を見ていると、民主社会が新聞に求めている「第四の権能」、つまり立法・行政・司法の「三権」の暴走を監視・防止する機能が、地方の自治体に対して満足に働いているのか、大いに疑問を感じる。県政に関してはまだしも、市町村の議会や施政について、住民が知りたいこと、知るべきことが、全国紙の地方版では、ほとんど伝えられていない。
 例えば、中央官庁や都道府県レベルの「談合」や「裏金」に関しては、各紙とも盛大に報ずるが、市町村レベルの公共事業にまつわる談合や不正などは、無いとも有るとも、さっぱり報じられない。実は市町村レベルにも、大小の利権ボスが蟠踞していたり、狭い世界だけに内部告発もままならず、「巨悪」が安眠しているケースが多いのだ。
 だが、県庁所在地の支局(一部の新聞では「総局」と呼んでいる)はまだしも、各地の市役所や町役場などをカバーする通信局・支局や駐在局レベルになると、要員の配置上も、突き刺さった調査報道を展開できる体制にはなっていない。
 現に市町村民として、自分が一票を入れた市町村議員が、議会でどんな活動をしているのか、全国紙の地方版で知る機会がどれほどあるだろう。全国紙は、今や地方自治に対して「第四の権能」を果たしているとは言えない。戦後の一時期、新聞が試みた自治意識向上への貢献は、放棄されて久しい。「生活情報」とやらの偏重で、重みのある地元の情報が減ったことが、新聞を読まない読者を増やしたとも言えないか。
 来年あたりから定年を迎える団塊の世代の多くが、「老後」を故郷の市町村で送ることになるだろう。彼らの主な関心が、これまでの「都会」から、住まう「地元」に移って行くことは確実だ。しかも,公的な取材機能がないインターネットは、この関心に応えにくい。
 ならば、身辺の情報、地方自治を巡る情報の需要は膨れるだろう。大新聞は、今こそ地方版の再建を図る時ではないか。記者が足りないなら、広告局に広告集めの紙面を作らせるような要員構成を洗い直すのも一案だ。途方に暮れたら、原点に戻って出直してみる手もあるだろう。(;)

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