憲法の虚しさ2006年11月06日 07:58

 日本国憲法は、3日、「還暦」を迎えた。全国紙がそれぞれ、この日の意味を「社説」で取り上げる中で、憲法の護持にとりわけ熱心な姿勢を保ってきた朝日が、社説では全く触れずに見送った。テーマとして「必修科目の履修省略」と「和歌山県の談合疑惑」を優先したのだ。
 日めくりの暦で社説の主題を選ぶのはお粗末だが、今年の11月3日は、憲法にとって特別の意味があった。
 言うまでもなく、10月10日に北朝鮮が核実験を強行したことで、日本の国際環境は一変した。直前に発足した安倍内閣は、かねてからの自民党の公約である「憲法改正」に向けて、明確に積極姿勢を示し、憲法の改正を事実上不可能にしている「国民投票法の欠落」を埋めるべく、今国会で立法準備に入っている。各紙の社説が、それぞれに差異はあっても、決定的な状況変化を迎えた「還暦の憲法」について、それぞれの具体的な考えを示したのは当然だ。
 ところで、憲法について格別な問題がなかった去年の11月3日は、どうだったか。──朝日新聞も「社説」では取り上げなかった。しかし、中江利忠元社長らが音頭を取り、同社のOB・OG有志その他協力者112人の氏名を連ねた「憲法9条を守ろう」と銘打った、全3段の意見広告を掲載した。
 それだけに、知りたいのは新事態を迎えての朝日の「憲法観」である。それを、3日の社説に期待した読者は、拍子抜けだった。論説委員や有志の諸君は、今、どう考えているのだろう。
 特定の観念論や、空疎な理想論はおいて、改めて憲法の「前文」や「第二章」を、虚心に読んでみよう。
 現実として、すでに日本列島をすっぽり射程に収める弾道ミサイルを保有し、その弾頭に装備すべく核爆弾の実験に成功、覇権国家の仲間入りを狙う隣国がある。その隣国は、日本とは「今なお戦争状態」にあると明言している事実がある。
 憲法のこれら「不戦条項」の非現実性は、もはや放置できまい。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いれば、「われらの安全と生存を保持」できるのか。そして、このナイーヴさを基に、「国権の発動たる武力の行使も交戦権も棄てて」生存が可能か。何より新聞は、現実に忠実でありたい。(;)